目が不自由でも白杖を持ちたくない...その2つの理由とは?

目が不自由な人のうち、全盲の方の割合は1~2割程度です。残りの8~9割の方は弱視と言って、全く見えないわけではないですが、一般の方ほどは見えないという状態です。弱視の方の見え方はさまざまです。視力、視野、色覚が人によって異なります。障害者手帳の等級に該当する人もいれば、該当しないけれども一般の方ほど見えない人もいます。

弱視の方の中には、白杖を使わなくてもなんとか歩けるので白杖を使っていないという人が一定数います。そのような「グレーゾーン」の人は、白杖を使うメリットよりもデメリットの方が勝っていると感じています。そのデメリットは次の2つです。

「障害者」になることへの抵抗感

これは、周囲の人がどうこうというのではなく、本人の中での気持ちの事情です。「白杖を使って外を歩く」という行動は、「自分は障害者であると世間に公開する」ことを意味します。このとき、「障害者」をどのように自分の中で定義しているのかにフォーカスが当たります。本人の中で「障害者」というものを「弱い」「みすぼらしい」「汚い」「価値がない」「無能だ」などと定義していると、白杖を使って外を歩くときにそれらの定義が全部自分に刺さってきます。

誰かに言われるのではなく、自分の中でそれらの言葉が反芻(はんすう)されます。それがつらいのです。そこには、障害者をそのように定義している非道徳な自分がいることを知るというつらさもあります。たまたま自分も障害者となったから「自分の中にある障害者の定義」に直面することになりますが、そうでなければずっと自分の中にその定義を持ちながらごまかしていたかもしれない。そう思うと、自分の中だけで二重さん週にもつらさが膨れ上がります。

助けてもらえるというより悪目立ちする

最近は声をかけてくださる方が増えましたが、とは言え、いつでも誰かが助けてくれるという状態ではありません。僕が白杖を使って誰かの前を通っても、声をかけられないことはたくさんあります。「すみません」と声を発しても、その声が相手に届かないことは多々あります。経験上、最終的にはなんとかなることを知っていますが、途中の「困っている時間」をどうやり過ごすのかについて多くのエネルギーを割きます。

もし白杖を使って外を歩いたときにすぐに誰かが必ず駆け寄ってきてくれるような状態だったら、白杖を使って歩くことの抵抗感は随分減ると思います。白杖を持てばいつも誰かが助けてくれる、そんな状況なら白杖は本当に便利な道具です。しかし現在はそのような状況ではありません。白杖を使っていると、じろじろと見られるか避けられる。そんな時間が1分あるだけで、暗い穴に沈んでいくような暗澹たる気持ちに支配されるのです。

もっと安心して白杖を使って歩けるように

本当は白杖を使った方がラクなのに、上記のような理由があり、我慢して自力で歩いている弱視の方がたくさんいます。僕は、目が不自由な方のメンタル面のサポートをすることで、生活しやすく、生きやすくなることを目指します。また、「白杖を持っていると誰かがすぐに助けてくれる」という世の中も実現したいです。それにはどんなアプローチがあるか、日々考えています。少なくとも、自分がもっと発信力を持たないとどうしようもありません。自分がもっと発信力を持つために、日々積み上げていきます。

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