マグカップの中のコーヒー

見間違いというか、勘違いというか、目の見えないせいにしておきたい間違いが、日常的にあります。ダッシュでその場から逃げ去りたくなるような恥ずかしいやつです。

この間、カフェでアイスコーヒーを頼んだら、マグカップに入れられて運ばれてきました。マグカップの取っ手に触れたら取っ手が熱かったので、「ホットコーヒー持ってきてるやん!」って思いました。苦笑いしながら「Is this hot?」って聞いたら、「Ice coffee」という返事。「嘘やん!?」って思いつつ、何気なくマグカップの胴体に触れたら、こっちは冷たい。まさかと思いコーヒーに口をつけてみたら、たしかに中身はアイスコーヒー。そのトリック、さすがに僕にはわかりません。目が見えていたら、そんな間違いはなかったのでしょうか? でも、ホットコーヒーと氷の入っていないアイスコーヒー、見た目で区別できますか?

先日、家族4人で子供の学校に行くとき、ジプニーに乗りました。ジプニーというのは、フィリピンの路線バスです。日本のバスとあまりに違う乗り物なので、バスという表現があまり似つかわしくないのですが。ジプニーはワゴンぐらいのサイズの車で、サイドドアはなく、後ろが開けっ放し。オープンエアーなので、結構空気悪いです。車内は長椅子が2列設置されていて、混んでいるときは隣の人と体をくっつけて座ります。バス停というものがなく、好きな場所で乗り込めて、好きな場所で降りることのできる便利な乗り物です。

そんなジプニーにこの間乗ったとき、すぐに動き出すので慌てて乗り込んで、慌てて席に座りました。家族4人でガッと乗り込み、隣の娘に話しかけたら、「What?」という返事。その人は家族ではない知らない男性でした。すかさず「I'm sorry.」と謝る僕。めっちゃ気まずかったけど、肩と肩は触れ合ったままの僕と彼。家族だと思ったら別の人だったっていう気まずい経験、きっとみんなありますよね。

間違いと言えば、子供の頃こんなこともありました。夏の暑い時期、食卓の上にコップに入った黒い液体。喉が渇いていた僕はそれをコーラだと思い、「ラッキー!」とばかりにグビッ。想像と味覚とのギャップに気づくのに少し間がありました。それは、そうめんのめんつゆでした。その頃すでに目が悪かったんだと思います。きっとそうです。

僕が中学生のある日、兄が彼女を家に連れて来ていました。兄が彼女とオセロをしたいとかで、オセロを出してくれと頼まれました。押し入れにしまってあったのを知っていた僕は、押し入れに向かうべく廊下の角を曲がりました。すると足の裏にぬちゃっという感覚。そして、へばりついて離れない。それは、とりもちでした。こんなこと普通ないですよね。廊下の角にとりもち。目にしたことさえない人も多いのでは。うちの実家は、ゴキブリはいませんが、ねずみがいました。そのとりもちは、ねずみ捕獲用でした。見事に捕獲された僕。笑う兄。軽石でとりもちをこそげとった虚しい時間が今も忘れられません。あれもきっと目が見えなかったせいだと思う。

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