オリンピックを見て、段々目が見えなくなってきていることを実感した

オリンピックは4年に一度。平昌冬季オリンピックの前は、ソチ冬季オリンピックでした。4年前も今回もテレビでカーリングを観戦しました。

カーリングは、視野が狭い僕には観戦しやすい競技です。石は、多少曲がるにしても同じ方向に滑ります。円の上に散らばっている石は止まっています。そのため、限らられた視野でも見やすいです。

一方、例えば、スノーボードのハーフパイプで繰り広げられるトリックを把握するのはちょっと難しいです。スキーのモーグルのターンは動きが早いのが見づらいですし、エアを視認するのも難しいです。

それでも、どの競技も4年前はもう少しテレビで冬季オリンピックを楽しめました。今回の平昌冬季オリンピックでは、テレビを目で見て楽しむということがほとんどできませんでした。ほとんどラジオのようにして観戦しました。

うちの5才の娘は、今回の平昌冬季オリンピックをきっかけに日本の国旗を覚えました。「国」というものの認識も深まったようです。彼女は数字を読めるので、日本の旗が何番なのか、スコアが何点なのかを話してくれました。日本が一番になっていれば喜び、一番でなければがっかりしてました。スピードスケート女子団体パシュートでは、一緒に観戦して金メダルをハイタッチで喜びました。

22時を過ぎても行われていた競技を観戦したとき、テレビに服を被せて画面を隠しました。子供達がついつい見てしまって眠りにくくなるからです。それに、僕は画面を見ていないので、画面を隠しても支障がありません。そもそも、我が家のテレビは20型なので、最近の液晶テレビとしては小さいサイズです。僕の視野が狭いので、画面が大きいとかえって見づらいからです。妻は本当は大きい画面で楽しみたいようで、我慢してくれています。でも、そんな妻は、部屋の壁にきれいに映るプロジェクターを購入し、液晶テレビでは実現できない大きさでWiiやPS4を楽しんでいます。

僕の目は、進行性の疾患のため、徐々に視野が狭くなってきています。左目はすでに失明しました。今は、右目の限られた視野で画面を見て、こうして文章を書いています。長い年月をかかけて症状が進行しているので、昨日今日では変化を実感できません。しかし、今回のように4年前と比較すると、なんだか見えづらくなっているということが実感できました。

今のペースで症状が進行すると、右目はいつ失明するのだろう。失明しない未来はどの程度あり得るのだろうか。失明したらどんな風に生活をして、どんな仕事をしているのだろう。どんな気持ちになっているのだろう。つらいのだろうか。そのとき、何に喜びを感じているのだろうか──。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?