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つぶやき日記

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noteのつぶやきで綴った日記です。
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ドラマ『サイレント』でのセリフをアレンジしてみた。
「見えなくなることは悲しいことだけど、見えない世界は悲しい世界じゃない。」
そうとは思いきれない自分がいることに気付いて、気付いていなかったときよりも悲しい気持ちになった。
余計なことをした。

中川 テルヒロ
17時間前
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昨夜は月がきれいで、僕の目にもぼんやりと見えました。いつ見えなくなるかわからないと思うと、一つひとつが意味を持ってしまいますね。月が遠くにあるおかげで同じ場所にいなくても離れた人が同じ月を見ることができる。太陽は眩しいし今や僕に星は見えないのだから、それができるのは月だけ。

「目が見えないから美術館に行かない」ではつまらない。「目が見えなくても美術館に行く」から面白い、もしくは面白くなる可能性がある。そういった意味では、「目が見えなくても」に何かをくっつけると何でも面白くなる可能性があるというのはありがたい、ではなくそれこそ「面白い」。

目が見えなくても美術館に行く理由、言葉にすると趣がないかもしれないけど、考えすぎる頭の休息、非日常を味わう、心の栄養補給、感性への刺激、自分自身の創作の源泉に触れるため。そして、作品が仲介となって楽しむ一緒に行く人との会話。

今日一緒に走ってくれた伴走者が今月で単身赴任が終わるとのことで、次いつどこで一緒に走れるかわからないので、今日のランを名残惜しく楽しんだ。帰りにコンビニでアイスをごちそうさせてもらって、おじさん二人で立ち食いして、そのちょっとした時間が幸せだった。

昨日ドバーッて手元のメモからつぶやきを出し尽くしたら、手元には出がらししか残らなかった。今日は頼るものがないという感触をじんわり味わい、それでも何か書きたいなという意欲が湧き出てくるのも感じた。これでいいのだ。

自分の中で何となく誰かにとって「役に立つ」か「面白い」と思う曖昧な基準でつぶやいてるけど、この世界の片隅アカウントで反応の大小もわからなくて、それで自分の知ってること思ってることを書いてるのだから、つまりこれは備忘録ってことなんだ。もしくは生きた証か。

同行援護のサービスを初めて利用したとき、聞いてなくても周囲にどんなお店があるか伝えてくれて感動した。でも空白の時間に雑談をしてみたときは反応が悪くて、どうしてかと思ったら、仕事だから作業とか説明とかしてる方が良くて、友達じゃないから雑談の相手はきっと仕事の範疇じゃないんだと思った

自分で自分にかけている言葉。
ただ生きるだけでいい。
前向きになんかならなくてもいい。ビジョンも持たなくてもいい。
誰かのためとか、他の視覚障害者のためとか、そんなことも考えなくてもいい。
目が見えなくてつらくて悩んで、でもときどき笑って遊んで、生きることそのものが表現。

青山学院大学のワークショップデザイナー育成プログラムを受講している。あと10日で修了する。今日、18本目の最後の課題レポートが完成した。3ヶ月間ずっと頭の片隅にあったものがなくなるのがうれしい。演習はまだ終わってないけど、自分で自分を褒めたい。というか、褒めてほしい。

音声の仮想お便りのコーナーを勝手に始めるにあたり、頭の中で妄想した仮想ラジオネームたちをここに書いて供養します。
新潟県のコシヒカラナイさん、長野県のチョウノさん、千葉県のバチバチさん、奈良県の空港がほしいさん、島根県の鳥取と間違えないでさん。
文字数の関係でここまでにします。

多くを求めすぎないことと人生をあきらめないことの違いって何だろう。
多くを求めすぎないというのは、年収1億円なくても年収1千万円でも結構幸せってこと。
あきらめないことは、忘れても忘れても頭の中に繰り返しよぎることを放っておかないってこと。
答え出ました。

自己肯定感ブームが行き過ぎたのか一段落したのか、自己肯定感はない方がむしろ努力ができるという話、納得するけど、人の心のことをファッションみたいに流行り廃りであっち行ったりこっち行ったりしてないか?と思う。それに振り回される人はどうなるのさ。

そもそも思いついたことをメモして貯めておいて小出しにしていこうというのが、姑息な感じがするし自分を信用していない感じがしてイヤだ。無性にイヤになった。宇宙は今も広がり続けているのだから、自分を小さな箱の中の住人にしておく必要はない。急に宇宙の話し。