流暢じゃない英語の言い訳

かなり前からずっと言われてきたことだが、「英語だけうまくなってもしょうがない、何を語るかだ」と。文脈としてはNative並みの発音になるためだけに膨大な時間を費やしても意味がないという論調であり、それはその通りであろう。

中身がなくて何を流暢に喋ろうというのか。と考えれば当然である。

ただし、この論調によって流暢じゃない英語を自己弁護することが1ミリでも世の中のどこかで行われていれば大変残念なことである。

喋る内容の方が大事といいつつ、そこそこ喋れる内容があるのに伝えられないことで勿体無い機会損失しているミドル層(30−40歳のビジネスマン)がどれほどいることか。

日本人のビジネスマンは真面目だし、業界の勉強はしているし、分析も鋭いし深いので「語れる内容」はある。日本語なら論理的な議論もできるし、問題解決能力も高いし、インド工科大学を卒業しHarvard MBAを出た、という人々と比べても全くひけをとらない。自信をもっていいい。自分も最初はおっかなびっくりだったが、内容が伝われば聞いてもらえる内容を日本人ビジネスマンは持っている。
だが、実際に一人で海外とのミーティングに望んでその語れる内容がどれほど伝わっているか。気合と根性で喋り倒せばいいという論もあるが、残念ながら気合で喋っても伝わらないものは伝わらない。通訳つければいい、といっても30歳前後のミドル層の出張につけられるほどコストと手間はかけない企業が大半だろう。

プレゼン主体ならなんとかなる。一旦一方通行で喋ってしまえばいいのだからたとえ流暢でなくても伝わる、という側面は確かにある。60分の会議ならプレゼン50分喋りまくって、最後の10分の質疑タイムさえなんとか乗り切れれば、なんて経験のある人も多いだろう。私も昔はそうだった。

ただしAmazonのように、社内でプレゼンなんてほぼなく、会議といえば全員でWord文書を読み込んだらいきなりDiscussionに入る場合(時間的にもこちらがメイン)、やはり議論されている中身をまずは英語で理解しないと話にならないし、議論をLeadしたり、鋭い質問を投げかけることによってようやく認められる。

もちろんNative並みの発音が必要ないことはその通り。

ただし「議論されている内容は95%わかる」「言いたいことはニュアンス含めて95%伝えられる」のは必須なのだ。

だから若手社会人ひいては高校生・大学生も冒頭のような「英語で何を伝えるかの中身が重要であって、英語をひたすら頑張ることよりもそちら優先」という論調を是非誤解しないでほしいと思う。流暢じゃないことの自己正当化にも使ってほしくないと思う。

英語力はやはり日本の国力を下げているのだ(どなたか偉い方がいつか定量化してほしいものだが、実感値としてやはり危機的レベル)。

既に中国語も喋れないとグローバルキャリアを築くのに難しくなっている昨今の現状で、英語も中途半端というのはやはり取り残されていく可能性は高い。

こういう現状を是非高校生・大学生に理解してもらい、民間試験か大学独自試験かなんて長期的には軽微な問題にも振りまわされないようにしてほしい。実践的な英語力が身につけばTOEFLの点数は取れるのだ。

また例えば学校の先生や就活リクルーターとなる若手社会人にも、もし高校生・大学生にキャリア論を伝えるのなら「俺も英語苦手でねー、ははは。なんとかなっているけどねー」なんて呑気な調子を伝えてほしくない、と切実に思う。

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