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「ド田舎育ちのサッカー少年がJリーガーと対等になれた理由」4

凄まじい衝撃体験と偉業を達成する中学時代

中学生になり中学校の部活でサッカーをする事になる。
この時代まだクラブチームは少なくサッカーは部活でやるのがこの田舎では一般的だった。
スポ少の先輩達も部活に入っていたし中学校からサッカーを始めた先輩も多くいた。

スポ少で一緒にプレーしていたチームメイトも皆んなサッカー部に入った。
残念だったのはスポ少の時に隣村から来ていた2人の友達とは中学校が違うので一緒にサッカーが出来なくなってしまった、
その2人は通う中学校にサッカー部がなく陸上をやっていた記憶がある。

当時は「あいつらかわいそうだな、一緒にやりたかったな」くらいに思っていたが、やりたいのに出来ない辛さを今になれば想像できるし子供達にもっと選択出来る環境があれば良かったのになと思う。

私がクラブチームを設立したのはこのような背景もあります

1年生の7月くらいまでは3年生がいたのでずっとボール拾いをしていた
たまに3年生の参加が少ない時にボールを蹴る事が出来たくらいだった。

3年生は上手だし背も大きい人が多くポテンシャルは凄くあった
3年生の大半はこの町のS地区(通称A川町のアルゼンチン)出身だ。
サッカー部の半数はS地区出身だったと思う
この町のサッカーはS地区から産まれたと言っても過言では無い
S地区の男子は皆んなサッカーをしていた
そんなイメージ
足の速いS君
下越の中田と呼ばれたM君
守護神K君
などが中心選手だった。
3年生はいい選手ばかりだったがサッカーに懸けている感じが無く、チームとしてのまとまりも無く下越大会であっさり負けた。

スポ少から見ていた憧れの先輩達があっさり負けて悔しかった、才能も能力もあるのにサッカーに情熱を傾けていないように私の目には見えた、それが1番悔しかった。

「サッカーが好き」という言葉も人によって違いがある

スポーツの中ではサッカーが好き
勉強よりはサッカーが好き
先輩達のサッカーが好きはきっとこんな感じだったと思う。

当時の私のサッカーが好きは
「1番サッカーが好き」
になると思う
とにかくサッカーが好きだった
本当に1番だった
友達と遊ぶより
家族と出かけるより
ゲームをするより
サッカーが好きだった
サッカーでは絶対に負けたくなかった
そんな熱い少年だったように思う。

今大人になり指導者をしていると皆んなの
「サッカーが好き」
を大切にしたいと思う。
今は遊びにSNSにゲームにいろいろと楽しいものがある、その中からサッカーを選んでくれた事に感謝している。
皆んな違う人間なんだから考えや思いは当然違う、だからこそ面白いしわかり合いたいと思う
、そういう考えを子供達と共有していきたい。

3年生が引退(学生の引退という言葉は嫌い、アマチュアに引退は無いし引退という言葉があるから競技を辞める子が居ると思う)してから1、2年生主体になった。

私達みたいな田舎の学校部活動の大会目標は基本的にはどの部も一緒

県大会出場

ここを目指す
郡市大会→下越大会→県大会となるので多く勝つ事が出来ないと県大会には行けない。
当時は下越地区約20チームから2チームだけ県大会に出場出来た。

私達のサッカー部は創部してから県大会に出たことは無かった。
憧れだった3年生達も出る事が出来なかった、
少ない人数の2年生と私達1年生、チーム力なんて3年生達とくらべたら話にならないくらい弱い

そんな弱小ちびっこサッカー部が奇跡を起こす

そして私のサッカー人生に影響を与えるあの衝撃いや、あの事件が起こる…

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