「希望」とは、余白のある暮らしなのだ
僕が伝えていきたいことの話です。
僕はインスタグラムでいろんな絵を投稿したり
絵本を作ったりしていますが、
仕事じゃないのに
なんでそんなことをやってるのか?
あなたは絵を通してどんな想いを抱いてるの?
と聞かれたら、なんて答えるだろう
と自問してみました。(雑誌のインタビューに答えてるつもりでw)
それで、
僕はこれまでの想いをノートに書きまくり
「希望を描く」
「希望を届けたい」
との想いに至りました。
そこから、
自分は何者かと考えたときに
みうらじゅんさんのように、
世の中のどこにもない肩書きをつけたら
おもしろそうと思い、
「あそびの描き手」
と自分のことを名乗るようにしました。
この「あそびの描き手」がどうして希望を描く
希望を届けることに繫がるのかを簡単に説明します。
僕の中で、希望とは「余白のある暮らし」のこと
余白とは、
好きにできる、好きに遊べる、好きに過ごせる
好きな人と過ごす
つまり自分で自由に選択できる
そんな時間、空間、仲間がある「3つの間」が
揃うのが最高だよなと思ったわけです。
この3つの間に共通する「間」
間って空白、空欄、という意味もあります。
その間は、何もないのがいい場合もあるし
間に書き込んだり埋めるのもいい
好きにできる「すき間」(隙間)(好き間)
がある。
すき間って余白だよなと思い、
好きにできる、好きに遊ぶ、好きに過ごす
「すき間のある暮らし」は
「余白のある暮らし」だなと
つまり「余白のある暮らし」を絵で可視化すると、イメージを持ちやすい。
余白のある暮らしを描いて、希望を届ける
そう考えたら、
自分が絵を届ける理由が明確になりました。
まとめ
日本には、好きに遊べる空間が全然足りてない
子育てして痛感しています
もっともっと身近な暮らしの中に必要だし
それをもっともっと広めていきたい
こう想うのが僕だけじゃ意味がないのて
そう、みんなが想うような絵を描いていこう
それが「余白のある暮らし」であり「希望」
なのだと、僕自身が忘れないように
ここに記しておきます。
僕はただ絵を描いているんじゃない。
身近な暮らしの「希望」を届けてるんだ。
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