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モネがそんなに好きだと言う「気嵐」が見たい

最初、私が気仙沼に行きたいと思った大きな動機は、登米に行ったモネが、北上川の鴇波(ときなみ)水門の上から移流霧を見て思い出す、気仙沼の「気嵐」を見たいという単純なものだった。気温が下がり、風の弱い朝にしか見られないという「気嵐」を見るために、気持ちは万全に調えた。

気仙沼で2泊の予約をしてたのが、気仙沼駅前のこのホテル。エレベーターに乗って驚いた。数十年をはるかに超える年代物のエレベーター。記憶に間違いがなければ、還暦を超えている私が、中学校時代に見たデザインだ。しかし、目立った傷もなく綺麗。大切に使われていることが分かった。

410。これが三日間お世話になった部屋だ。気仙沼駅の反対側の部屋なので、鉄道好きの私は最初ちょっとがっかりしたが、この部屋で良かった。この部屋の窓は、南側に開いている。しかも、やや東に振っているので、冬場でも日の出の方向が確認できる。じわじわ空けてくる未明の空の様子が、手に取るように分かる絶好の部屋だった。

気仙沼に着いた次の朝、目覚めたのは朝4時。窓を開けてみた。それほど冷え込んではいない。でも満天の星。でっかいオリオン座とその左に光るシリウスがはっきり見えた。風はない。気温は低くないものの、昨夕までの雨で湿度は高い。もしかしたら「気嵐」が見られるかもしれないと、期待した。

昨夜、ホテルから気仙沼港内湾にある南町に歩いて行ったのは、道を確かめるためと、実際の所要時間を計るため。道順も頭に入ってる。なだらかな下り坂だ。自然と足も早まる。この下り坂を何度も行き来することになるが、早朝の散歩にはピッタリだと思う。気仙沼の10月末の日の出は、午前6時前。身繕いをして、撮影用のスマホとLEDライトを持って、5時にホテルを出た。

なんだ、こんなに明るいのか。駅前から港に向かう道には、水銀燈が道を教えるように輝いていた。商店のガラス戸の内側には『おかえりモネ』のポスター。どこまで行っても清原果耶ちゃんに見られているような、ちょっと変な感じ。未明だけど、温かい雰囲気に包まれている感じで、どんどん歩ける。

地図で示した通り、気仙沼駅から南町への道は、真っ直ぐではない。何度か曲がらないとたどり着けない。最初の三叉路を左に曲がると、気仙沼郵便局や市役所の通りに出る。ここから街灯の色が変わる。電球色になりデザインも変わる。この変化も楽しかった。

南町近くまで行けば、お馴染みの建物も見えてくる。このバス停みたいなものは、スランプラリーのポイントで、これからいろんなところで目にすることになる。

これが、早朝、気仙沼港を撮った記念すべき一枚目。予定通り、まだ明るくなる前に到着した。手前の方は何もないけれど、なんとなく遠くの水面がモヤってる。風も無い。「気嵐」出現を期待した。

少し歩いたら、大島が見えた。大島大橋は見えないけれど、内湾と呼ばれるこの辺りからでも大島は見えるんだと分かった。手前には、あの「お恵比寿さま」がいらっしゃる浮見堂が見えた。柔らかい朝焼けが綺麗だと思った。

亀山のレストハウスが見えるかなぁと思い、ズームして一枚撮って驚いた。明らかに「気嵐」が写ってる。ちょっと興奮した。

「気嵐」に近づこうと、「お恵比寿さま」まで走る。東の空は、もう青く輝き始めていた。

「お恵比寿さま」付近からの大島亀山のアップ。昨夕までの雨のせいか、手前の森からも霧が出ていて幻想的。毎日、この時間に、この場所を散歩している人に出会ったので、「これ「気嵐」ですよね!」と興奮して尋ねたら、「こんなもんじゃない、ほんとの『気嵐』は‥」と一蹴され、ちょっと凹んだが、今見ると、間違いなく「気嵐」だった。

しかし、私が気仙沼の虜になったのは、この後だった。夜明け前のアンニュイな感じの「気嵐」の風景は、太陽が昇ると一変する。一気に青空が広がる。そして何よりも雲の美しさに圧倒される。刻々と変化する雲の形や色彩は、もう私を一瞬で夢中にさせた。ずっと見ていたい。ホテルの朝食の時間を忘れてしまうほど、空を眺めていた。

モネのFMラジオのスタジオのモデルとなった、PIER7に朝日が当たる。もう、これは絶景だ。ここで、モネが毎日、朝早くから働いているんだと思いながら、ホテルへの坂を、気持ち悪いほどの「ひとり笑顔」で、いい歳のオッサンが、弾むように歩いていたと思う。

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