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『おかえりモネ』116回を観て、夜バスに乗る

最終週の始まる直前「やっぱり行く」

10月25日の月曜日。『おかえりモネ』の最終週が始まる日。りょーちんとモネが話をしてる最中に、菅波先生が登場。みーちゃんの涙、亀島に向かうモネと菅波先生、帰ってこないお父さん‥。あ、もうダメだ、我慢できない!で、気仙沼に行くことにした。

カミさんが出勤の準備をする中「やっぱり行きたい」と言うと、「行ったらええやん!」とあっさり承諾。「ただし、条件がある。贅沢しない。何日いてもいいけど、帰りはともかく、行きは、特急には絶対乗るな! 新幹線にももちろん乗るな!」だった。

家を出たのは、カミさんが仕事から帰ってきた後の午後8時ごろ。JR丸亀駅まで歩き、丸亀→横浜、東京→仙台、仙台→片浜(岩松)の区間が高速バス、途中の横浜→東京がJR。高速バスが通らないJR気仙沼駅に降りるため途中で降り、岩松→気仙沼がBRTという行程となる。気仙沼でまず2泊ということで、駅前のホテルに予約を入れた。

横浜からJR上野東京ラインで東京駅に着いたのは、翌26日火曜日の朝7時半前。仙台行きのバス乗り場を探した。ここで、探したかったのが、りょーちんがモネと会った喫茶店。バスの発車は8時半なので、ちょうど1時間ほどある。仙台行きのバス停の近くの喫茶店を探した。

東京での喫茶店探しと朝食

バス停は、八重洲通りを少し歩いたところ。地上に、レトロな喫茶店らしきものはない。あ、地下街かと気付き、乗り場から一番近い階段を降りると、すぐそばにいい感じの喫茶店があった。お腹が減っていて、食べる前に撮影できなかったが、モーニングセットは美味しかったし、コーヒーのお代わりもタダという、素晴らしいお店だった。なぜか小皿にあんこがスプーンと一緒に置かれてびっくりしたけれど、これは美味しかった。

初めての東北自動車道に驚きながら気仙沼へ

仙台行きの高速バスの車窓から、東北の景色を初めて見た。四国から来た人なら誰でも驚くと思う。高速道路にトンネルが無い! 仙台に着く直前まで、延々と広がる平野や林の中を、空と一緒に走る道。天候は良くなかったけれど、これは爽快だった。

あ、このバス、お金に余裕がなかった時代の、悠人や三生が乗ったバスだと思うと、さらに元気が出てきて、スマホのマップで位置を確認しながら、とにかく景色を眺めまくった。

仙台から気仙沼行きの高速バスには座席指定がない!

気仙沼は雨上がり。ホテルに荷物を置いて、モネが勤める「PIER 7」のある気仙沼内湾に、歩いて行きました。寄り道しないで行けば、20分ほどだが、バス停を確認したり、脇道に入ってみたりで、内湾に着いたのは、午後6時を過ぎた頃だった。辺りは真っ暗。

雨上がりの中で輝く「PIER7」

最初に見た「PIER 7」がこれ。桟橋まで明るく彩られた暖色のLEDの光に癒された。雨上がりだったので、水たまりや濡れたウッドデッキまで輝き、うっとりするほどだ。

ラジオの音が聞こえていたので、音のする方へ歩いて行くと、気仙沼FMのスタジオだった。これが、モネの職場だ! それにしても、ウッドデッキが雨に濡れて、歩いていても体が宙に浮いてるような感じ。

桟橋に係留中の船は、モネやみーちゃんや耕治さんが乗った船だとすぐに分かった。明日にでも乗ろうかと思っていたけれど、観光船としての就航が土日・祝日のみだったので、その日までいられないなと、その時は思った。

お腹が空いていたので、その辺りで食事をすることにした。好物のトンカツのお店を見つけたけれど、閉店直前で入れなかった。大島の民宿に泊まるまでは、御膳に出そうな豪勢な料理は避けて、普段のメニューで行こうと思っていたのに、残念。でも通りの反対側に、感じの良さそうなイタリアンのお店が見えた。お客は誰もいない。ショットバーとしてもいい感じだったので、ここでパスタを食べることにした。よそ者としては、こういう外が丸見えな店構えが安心だったりもして、その後、何度も寄らせていただくことになる店になった。

ホテルに戻って、ガラス張りのエンタランスから気仙沼駅を振り返ると、こんな感じ。この時はまだ最終回前なので、どこもポスターで溢れていた。

ホテルにほど近い古町の工務店さんの店先は、わざわざポスターをライトアップしてて、綺麗だった。これから毎日のように、気嵐を求めて内湾まで歩く私を、毎朝、勇気づけてくれた。こんなふうに、気仙沼駅前から内湾に向かう道沿いの商店には、このポスターが溢れていた。

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