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自己紹介

初めまして。佐藤輝明と申します。1999年12月28日現20歳神奈川県で生まれました。長い自己紹介になりますが見ていただけると幸いです。


小学校時代は特に虫取り魚釣りそしてアウトドアが大好きなわんぱく小僧でした。

小学校5年生の時に友人から野球チームに入らないかと言われ、市の中でもTOP10に入るほどの強豪チームに入りました。スポーツには少々自信もあり、もしかしたらプロ野球選手とかになれるかもとか妄想しながら野球をしていました。しかし、周りの同級生はみんな小学校低学年から野球を始めた人がほとんどでした。なんなら高学年で始めたのは僕だけだったかも。。。

もちろん入部して一週間で試合に出れるなんてそんなアニメのメジャーみたいな物語なんかありませんでした。でも僕はやるなら全力でやりたいと思いひたすらランニング、バットを持って自宅前でひたすら素振りをしていました。そして入部して半年が経ち最初は途中出場から始まり、夢のレギュラーメンバーになることができました。

このままの勢いに乗り、中学でも野球部に入り(一年生レギュラー)というまさにプロ野球選手みたいな物語を妄想しながら頭を坊主にして全国レベルであったO中の野球部に入りました。その顧問の先生は中学の全国大会でハンカチ王子の斎藤佑樹投手との戦いに見事勝利したと言うまさに怪物であった。

目標に向かい私は練習に励みますが、ここで初めて挫折をしました。野球部あるあるでの上下関係の厳しさそして顧問の先生によるスパルタ教育そして周りの同級生の実力の差、私は小学校5年生から始めたのに比べ、周りは小学校一年生からもっと凄いのは遠くからわざわざ野球のために来た人もいた。もちろん自分の今の実力はレギュラーどころかベンチ入りすらできない実力だった。私は現実とのギャップに押し潰されてしまい。もう諦めようかなとかやめようかななんて思いました。ですが諦めないで頑張ろうと思い毎日練習に励みますが、人間関係のギクシャクそして自分の実力不足にとてもイライラしてしまい投げやりになったり、(お前は一番下手くそ)だと言われチームメンバーと喧嘩や顧問の先生に向かって帽子を投げつけたりとても今じゃ考えられない言動を当時はしていました。坊主なのに、、髪染めをして部活に出たことも、、、恥ずかしい、、

そして自分たちが三年生になり最初の練習試合でスタメンで僕の名前が上がることはありませんでした。ですが、試合途中顧問の先生から(おい佐藤お前代打で出ろ)と言われました。その打席で見事にタイムリースリーベースを打つことができました。その試合はなんと僕だけでも7打点もとった自分の中の伝説になっています。顧問の先生は僕が打席に入るたびに、(ドリームジャンボ打法)と言っていました。意味はホームランか三振って意味なんですけど、、

そしてそこでも念願のレギュラーを勝ち取り数多くの大会でも成績を残すことができました。さあここで人生で初めての受験に突入します。

ここで初めて人生の分かれ道ができます。

男子校の私立に行き野球一本で行くか、県立高校で優雅に学校生活を過ごすのか

自分は当時野球に人生を捧げるのはいいがもっといろんな経験がしたいと思い公立高校にいくことを決意しました。しかし、私は学校の成績はみんなに笑われるほどの成績でした、オール2くらい、、普通の公立高校に通うならばオール3は欲しいと言われ、集中力がない私には(勉強)なんて死んでもやりたくないくらい嫌いなものだった、授業中に下ネタで大爆笑するほどのクソガキだったのでこれじゃまずいと、塾に通うことにしました。その塾は進学校のための塾で来ているみんなは学校の中ではエリートだった。授業も最初何をいっているのかわからず塾の中のテストでも自分だけはある意味特別枠だった。ある意味ではありますが。だけど先生はみんな素敵な方でした、絶対に僕を見放さないでいてくれて、先生が(好きなアルファベットを言って)と言ったのにも関わらず、私は(3!)と答えても丁寧に笑いながら教えてくれました。そのお陰で目指していた県立高校に合格をすることにしましたが、入学をして野球部に入り一ヶ月もたたないでやめます。理由は(髪の毛はやしたい)←これだけです。

野球をやめてアルバイトをして遊びに遊びまくりました。バイクの免許をとってアメリカンを買い遠くまで行き、彼女ができ毎日のように遊び、授業中は荒野行動、寝る、青春というものを思う存分楽しみました。当時は彼女がいましたので、専門学校に入って、ここでいい企業から内定をもらってエリートサラリーマンになるぞ!と思い。入学しました。

専門学校は高校とは違い、様々な地域、もっと言えば海外から来ている人もいたので驚きでした。自分がいかに狭いところで暮らしていたのかがよくわかりました。同じ学力で入るものではないので頭がいい人そうでもない人など様々な人がたくさんいてとても刺激的になる毎日でした。それなりに専門生活を楽しんでいるとき、付き合っている彼女と別れ、ここから自分の時間を大きく使う日が来ることになります。まずは飲み会もう何回ゲロしたか覚えていません。毎週のみ会そして意味のない集まりで愚痴大会。同じ人と同じ場所で何かで頑張っている人を(あいつ)とかいいながらどんどん自分でも何を目指しているのかわからない毎日が続きました。毎週やっているうちにふとした時に(自分の夢とは)と自問自答をしました。(お金持ち)当時は頭が悪かったのでそれしか出てきませんでした。そこで初めて将来について、大きく考えるようになりました。まず何をしたらいいのか、色々と考えている時にある日友人から(イベントに来てみない?)と誘われました。(なんやねんそれ)とか思いながら参加してみるとそれは衝撃的でした。(なんだ、この意識高い系男子、、、)そう思いながら話を聞いたところ自分にはなくて相手にはあるものばかりでした。そこから人生で初めて勉強をすることになりました。何の勉強かと言うと。

ーマインド 経営 セールス マーケティングー

この4つを生まれて初めて家やカフェで時間をかけて学習しました。なぜこの4つに心を引かれたかと言うと今までの自分は目先のものしか見えていなかったと、バイトでも飲み会にいくためにお金を稼いでいるようなもので考えたくもありませんでしたが、それが現実でした。この四つを学習してよかったことは(大人になったね)や、とある会社の役員の方から(今の私の考えを君は持っている)などあんだけくだらないことでワイワイしてたのにこんなにも変わるんだと私は思いました。そのお陰で今は個人事業主として夢である会社経営、アーティストに向けて日々精進したいと思います。

ー最後にー

私はこのNOTEを使って皆様に様々な情報や個人で思ったことなど発信していきたいと思いました。見ていただけると幸いです。










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