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間違いの積み重ねと、心の形成。

今日は低調気味。
昨日の特に何を見たいかわからないYouTubeの夜更かしが原因だと思う。

そうやって宛もなく動画を流し見している時は、良くも悪くも自分の価値観に触れる出来事があって、それをどうまとめていいか分からず落ち着かない時だ。

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昨日は大失態を犯した。
うん100万する筐体をコードに足をひっかけ地面に叩き落としてしまった。

うわ、ほんとにやばい。終わった。
ドゴンッという音に上司が駆けつけてくる。

動かなくなったらどうしよう、上司からどんな怒号が飛び交ってくるだろう、どんな罰が与えられるだろう。
ありとあらゆる想像が猛スピードで頭の中を駆け回った。

上司が自分に声をかけた。
「大丈夫!?どっかぶつけた!?怪我してない!?」
第一声で自分の身を案じてくれた。

そのあとはどういう流れで筐体を落としてしまったか聞かれて、動作も正常に動いてるから大丈夫と言ってくれた。


帰り道にインスタを見てると、ある投稿が目に入った。
「苦しいのは、疑っているから」

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私は間違えるのが怖い。
働けるようになった今も、目の前で笑ってくれている人でもこの先何かの拍子に自分を攻撃するようになるような恐怖が未だにある。


子供の頃から味噌汁を零せば服や絨毯を汚した責任を取れと怒られたし、なんでこんなこともできないんだと言われた。
発言を間違えれば、機嫌を損ね怒鳴られた。



だから今回の上司の発言は、本当にびっくりした。
本心はさておき、安全を気遣う発言が最初にかけてもらえると、本当にに働きやすいように苦心して貰えてることが感じられた。

適応障害から今の仕事に2年半従事できたのも、上司が気遣ってくれてたり色んな施策を取り組んでくれたおかげなんだなと改めて感じた。


もし自分が親になることが出来たら
洋服や絨毯の前に、子供に怪我がないか心配できる親になりたい。

大切な人には、どんなことが起こっても
「まずはあなたが大事」
ということを伝えられるようにしたい。

その積み重ねで、きっと心の居場所が作りあがっていくから。

それはかつての自分が欲しかったもので、1種のエゴかもしれない。

それでも大切だと伝えられなかった「間違い」をするよりずっといいと思った。

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