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原住民の歌について。驚いたこと

 台東にある「TTICC台東県原住民文化創意産業聚落」に行く。原住民文化センターみたいなところだった。

そこで、原住民の音楽が色々聞けるコーナーがあった。CDとかの音源ではなく、現地の人のところに行って録音した音で、色んな民族の言語の会話や、音を合わせる時の掛け声まで入っていてとても良かった。


 島の民族の歌。
山の民族の歌
海辺の民族の歌。

 色々聞いてて、びっくりしたのが「月が〜出ましたよ〜つーきが〜出ましたよ〜あぁよいよい」とか、「月がでたでた月がでた〜今宵ひとりで山に登れば〜ホニャララ〜」みたいに、日本語が聞こえてきたことだ。
え!?原住民のうたじゃないの?と、他の歌も聞いてみたら、全く聞き取れない、民族らしい歌もある。どういうことなんだろうか…と、スタッフの人に聞いてみた。
 「この歌って、原住民の歌ですよね?日本語で歌われているのはなぜ?私日本人だから聞き取れたよ。」私

「原住民の人たちは、文字を持たなかったの、だから歌で全部伝えてたんだよ。歌う人によって少しずつ違うよ。おばあちゃん、お母さん、子供、伝えたいことが違うとちょっと変わってくるんだよ。」スタッフ

「なるほど…」私

なんで、台湾の原住民が、日本語で歌を歌ってるのかが知りたかったのだが、スタッフの人に上手く意図が伝わらなかったようだった。

後に、台湾の歴史博物館でみて、私なりに解釈したことをまとめてみる。

1895年〜1945年まで、日本は台湾を植民地として統治しており、当時の台湾のインフラを整えたり、日本の教育を受けさせたりしていた。台湾のいたるところで日本統治時代に建てられた建物を見かける。明治〜大正〜昭和の時代の日本の建物。どこか懐かしい感じ。

日本語教育は、原住民も例外ではなく、今も台湾のおじいちゃんおばあちゃんが日本語を話せるのはその名残である。

宜蘭クレオール」:台湾の村 「ニホンゴ」話す先住民たち

原住民と、日本人の争いや事件もたくさんあったし、不平等な政策を行い、当時の台湾人を野蛮に扱っていた事実。これらは、日本人として、知っておきたい事実であり、その歴史を経て今の私がいるのとを全身(五感全部)を使って知りたいと思った。

そのような歴史があったにも関わらず、日本人が教えた日本の歌や、日本語が、今も受け継がれてるのって、なんかすごくこう、尊いことだなと思った。今、私が生きてる今の時間、経験、体験は、昔の人達のいろんな経験や体験、交流を経てつくられているんだな。と感じた。

 原住民の歌は素晴らしかった。歌の中に色んな意味が込められている。お祭りの時に歌う歌や、結婚式の時の歌や、豊作を願う歌など。力強い歌声がヘッドフォン越しに流れてきた。当時の原住民達は、山で、海で、あらゆるところで、豊作や、狩りに行く人達が無事に帰ってくるよう、祈りを込めて歌を歌い、文字の代わりに伝承を受け継ぐために、歌を歌った。そうして、受け継がれた歌が日本人の私に届いた。歴史を知るとまた一段と深まる音楽の、言葉の重み。言葉とは文化である。文化を作るのは人の歴史である。地球は丸くて繋がっている。みんな地球に生きている。それが事実でそれ以上も以下もないのだと思う。争いや、悪意のために生きるのはやめにしたい。

 台南のレコード屋さんで台湾の原住民の歌が入ったレコードを購入した。探し回ってやっと見つけた。尾道に帰ってから、知り合いにお願いして、レコードをかけてもらおう。帰ってからの楽しみが増えた。

山地の原住民の歌集


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