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7歳で義務教育を咀嚼できたなら

”週3投稿”という目標はことごとく失敗に終わっているが、前回の投稿から8日経ち、またnoteに戻ってきたことを考えると週一投稿が自分にはあっているのかも知れないという事を収穫しましたテリーマーモセットです。ごきげんよう。【エラーからの収穫があるので取り敢えずトライしてみよう!】

今日は小中学校の義務教育がこうなれば良いなって願望を書きます。

何のための勉強なんだ

「学校の勉強が何の役に立つのか分からない。大人になって使うのか?」と義務教育が腑に落ちなかった自分は体育と美術が好きだった。

中学までの数学と漢字ぐらいは必要だと思っていたが、他は勉強する意味が分からなかった。自分がそれを勉強しなかったところで日本は何も変わらない。しかし日本は国として”水準”を気にするし、国力として保有しておいてもらいたいそれらの知識と集団生活の訓練や洗脳など色々あるんだろう。

何が本当で何が巷の陰謀論かも分からないようなものの集合体の最終形態が現在の教育カリキュラムであることは間違いなさそうだ。

カリキュラムも時代に合わせた取り組みがされてきただろうし、歴史的発見のたびに武将の写真や年号は変わり教科書はアップデートされてきた。年号を覚えていばっていた少年がいれば顔が立たないが、それも含めてある意味教育かもしれない。

しかし、幾度とアップデートされようと義務教育に対して腑に落ちないまま生徒が取り組んでいては時間が勿体無い。なるべく多くの生徒が勉強することに前向きになってほしい。

従順で使いやすい人材を育てることは日本を失わないためには致し方なかったかもしれない。そのためなら生徒に手を上げることだって許容された時代とは随分あらゆることが変わった。昔に比べ個性を伸ばそうという動きは強まったかもしれない。しかしそれよりも大切なことは生徒たちに学校に行きたいと思ってもらえることだと思う。

学校の在り方

小中学校に通っていた頃、親戚のおじさんに勉強しとけよと言われた人も多いだろうが、その羨ましがられた環境にいた自分は、当事者でありながらどこか他人事のように感じていたけど今になってその意味が分かる。全ての教科が必要だとは思わないし、人によってそれは変わってくる。ただ、この必要性を実体験でなくても理解し取り組める子はやはり伸びると思う。親の社会や経済に対するリテラシーが高く、教育にも反映されていたら学校での勉強も教科ごとの力の入れ方も変え、義務教科以外の勉強も始めるかもしれない。今は気になったらすぐに調べることができるので良い時代だ。

しかしそうでない子供もいるわけで、義務教育とは家庭環境に関係なく平等に必要最低限の知識や環境を与えてあげることができれば素晴らしいと思う。早くから興味を引くものを調べ深掘りすることを学校の授業でも取り入れることができれば良いなと思う。

ほとんどの家庭でネット環境が整っているので学校から帰ったら時間があると思う。しかしおそらく様々な家庭環境があり調べることができない子供はいると思うし、学校が終わって家に帰れば家事をしている子もいるだろう。子供達がただ義務だからと9年間を過ごしていたら勿体無い。

選択科目を増やしたり、専門別にクラスを分ける、さらには自分の好きな分野を勉強できる時間を作るなど、高校や大学のような要素を取り入れても良いと思う。そうやって生徒にいくつか選択できるほどのゆとりを持った学びの場になれば有意義な時間を過ごせると思う。

他校の生徒と興味を深ぼる

物理的に存在している学校に集まる生徒はただ近くに住んでいるからであって、趣味・興味・得意が同じわけではない。そんなことを言ってしまえば人間誰しも違うが、例えば選択した授業が所属している学校に一人で他校にいればオンラインで意見交換や学びの共有ができる。そんなふうに今までの一つ屋根の下・同じ制服ではなく、同じ科目でオンラインで他校の生徒と授業を受けるような授業も時間割に組み込まれたら面白いと思う。そうやって大学や専門学校で出会う友達との地域性の違いみたいなものを小学校から味わうことで、価値観も広がり面白い反応は起きそうだ。

オンラインや動画にすれば教師の数は必要ないし1ヶ月ごとでも1学期ごとにでも、多くの分野から気になることを深掘りできる授業がであれば生徒は興味や憧れを抱くものを見つけるかもしれない。それらに数学が必要なら数学を頑張るだろうし、そうやってただ義務だからと受け身で取り組むのではなく仕事や研究など学校以外のものと紐付け、勉強の必要性を客観視できるような環境を与えてあげる事がこれから重要なんじゃないかと思う。今のカリキュラムがプログラミングや英語学習が始まるぐらいで自由に学べる枠がないなら学校で7歳から仕事や研究などに触れる時間を学校で与えてもらえれば非常に意味があると思う。

体育館に集まって外部から講師として招かれた専門職の人の講義を聴くあの時間のオンライン版をさらに深ぼっていくイメージだ。

昔は家業というものがあって、また農業を営んでいた家庭も多かった。そんな家庭で生まれ育った子供たちは、お金を稼ぐことや生きていく事を間近で見て感じとっていたと思う。技術を見て勝手に覚えろならまだ良くて、子供の周りで狩もしていないし、狩りの仕方も教わっていない子供はかわいそうだ。

アプリのアップデートのように技術革新やそれに伴って社会のルールの変化は加速しくだろう。狩りの仕方を教えようにも一世代でどんどん移り変わり難しいなんて事もあるだろうけど、それでもなるべく早く日本の子供たちが稼げるように育ててあげることができれば良いなと思う。

その前にまずは自分が稼げるようにならないと。


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