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都会と田舎

はるか昔に、「都会と田舎」というテーマで、レポートを書いたことを思い出しました。
こんにちは、てりーです。

学生時代の恩師からコメントをいただき、あの頃の記憶が戻ってきたという感じです。
懐かしいですね。いいですね。自分の過去を知っている人がいてくれること。
自分の過去を知っている人は増やせません。これから出会う人はたくさんいるとは思いますが、過去に出会た人は、過去に戻ることができないので増やせません。
過去に捉われずに未来に進め的なご意見もあるとは思いますが、過去のできごとは、錨のように人生の安定感をもたらしてくれるとも思っています。
過去も大切ですし、今も大切ですし、未来も大切です。
どれが一番ということはないでしょう。

都会も大切、田舎も大切、大切なものはそこかしこにあると思います。

19歳のころの自分が、都会と田舎というテーマでレポートを書いたとき、
都会があるから田舎があるという内容で書いたと思います。
田舎と都会が比較されるのは、それぞれが互いを見合っているからであると。
都会だけが存在していたら、田舎という概念は生まれないであろうし、
田舎だけならば、そもそも田舎は田舎と呼ばれず、〇〇村、や〇〇町という固有名詞であると。

対比と、比較と、検討と、分析と。いろいろな要素が入っているレポートになっていたのだと、今更ながら思います。
そういった要素をくみ上げてくれた短大の先生の着眼点と言いますか、注目の度合い。
今でも新鮮に思い出すということは、若い自分にとってうれしい出来事であったのだろうということでしょう。
確か、学長先生が取り上げてくださったような。今はお話しすることも叶いませんが、懐かしい思い出です。

田舎は都会があるからこその概念ではありますが、田舎を都会にしていこうとしているのは、どなたになるのでしょうね。
田舎が残り続けてくれているのはどなたのおかげなのでしょう。
都会にはなぜ息苦しさが伴うのでしょう。
田舎に癒されるという感覚があるのはなぜでしょう。
都会はどうして合理的なのでしょう。
田舎のひと手間はなぜ無くならないのでしょう。むしろひと手間はなぜ歓迎されているのでしょう。

都会と田舎。
でした。

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