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#58 時間。

 以前は10分前集合、5分前着席の大真面目な時間感覚でした。追い詰められる感覚ですね。切迫する何かに怯えながらそれをやる。それをしなければ死ぬとでも思ってたんでしょうか。

 今は申し訳ないほどにルーズです。on timeか10分遅刻くらいの時間感覚になってしまいました。でもめっちゃ生きやすいです。そりゃ遅刻しないほうが絶対いいです。そこは変わりません。

 でもなにかに追われなくなったことは確かです。怯えることはなくなりました。

 以前程よい縛りの話をしました。

 程よい縛りは心地いい。

 裏を返すと、「過度な縛りは不快。」です。

 ルーズな自分も受け入れたことで、過去の自分は過度に縛りを設けていたことに気づきました。時間を守ることを必要以上に優先していたんです。「時間さえ守れない人は頭おかしい」と本気で思っていたとともに、他人からそういう人間だと認定されないために必死で守っていました。

 つまり僕は自分で作った縛りに、他人もそう思っていると違いないと重ね、間接的に自分の視線に対して怯えていたんです。

 でも案外「時間さえ守れない人は頭おかしい」なんて思っている人は少ないです。

「すいません。遅れましたー!」

「いいよいいよ。なんかあった?大丈夫?」

 これが遅刻した時のやりとりの80%くらいを占めます。意外と世の中は寛容なんです。勝手に縛って勝手に生きづらくなるのはやーめた。

 常識ってのも案外通用しないのかも。過去の統計から出た縛り。変化し続ける現代において過去からの縛りは自分の首を絞めかねないものです。

 「前はこうだった」、「昔からこうやっている」などと硬くなってしまうとこれからの活路を見いだせなくていつのまにか置いてかれてしまうのかなって考えたりします。

 だって常識って移り変わるものじゃないですか。僕らも変わっていきましょ。死ぬまで変化と成長を繰り返してみたいと夢見ています。

 

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