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街も仕事も自分たちでつくる 瀬戸内ワークスの原田佳南子さん

 香川県西部に位置し約6万人が暮らす三豊市は近年、観光地として注目を集めている。2019年は約45万人が日本のウユニ塩湖と呼ばれる「父母ケ浜」を訪れ、紫雲出山の桜は世界の絶景とたたえられた。瀬戸内ワークス代表の原田佳南子さんは18年に単身三豊に移住し、讃岐うどん作りが体験できる宿泊施設「UDON HOUSE」を開業した。今年に入り、地域で働きたい人の仮住まいとなるシェアハウス「GATE」をオープンさせるなど、人材の呼び込みに挑戦している。新型コロナウイルスの影響で訪日外国人客が途絶える一方、地方暮らしを望む日本人は増えつつある。環境の激変をチャンスと捉えて着々と手を打つ原田さんに理想の街を聞いた。

▽街は自らつくるもの

寺西 原田さんにとって、いい街とは。

原田 私にとっての街は三豊で、いい街のキーワードは自主性。誰かがつくってくれるのではない。住民全員でつくる街がいい街だ。

寺西 原田さんは17年に楽天を退社し、三豊に移住した。動機は。

原田 リスクを背負い事業に挑戦している人に憧れた。「東京の大企業を辞めて、こんな田舎に来て大丈夫か」とよく言われる。私には会社員を続けることがリスクだった。会社員だとできないこともある。一度きりの人生。文句を言うよりも自分で決断して責任を持とうと。自分のスタンスは会社員時代と変わらない。やりたいことをとことん追求している。違うのは、今は結果がすべて自分に返ってくること。苦しいことは山ほどあるが、総じて楽しい。事業があってスタッフもいる。責任の重さは会社員の時とは比較にならないが、文句を言わなくなった。やってやろうと思える。

▽地元の熱意

寺西 なぜ三豊を選んだのか。

原田 タイミングと縁。楽天時代に地域振興ビジネスに携わり、全国の自治体を営業で回った。三豊市が地方創生の交付金を活用した地域商社の立ち上げに手を挙げた時、私は楽天に在籍したまま、そのプロジェクトメンバーに選ばれた。三豊市役所にも寺西さんのような変態がいた。彼らの熱い思いに心を動かされ、ここでやってみようと思った。初めて三豊を訪れた時、景観や自然の素晴らしさだけでなく、地元の30代、40代に活気があって他の地域と全く違う印象を受けた。地元の人が三豊をどうにかしようと動く姿に感動し、私に何ができるかを考えた。

寺西 地元の人が地域を愛していることが重要だった。

原田 そう。地元の人が「こんな地域のどこがいいの」と言う街を盛り上げるのは大変。ぶっちゃけた話、私はどこでも良かった。地元に熱意のある若手がいたことは、移住を決断した大きなポイント。外からは見えにくいソフトの部分が三豊を選ぶきっかけになった。そして三豊の魅力の一つが、地元企業が本業の垣根を越え、プロジェクトベースで新たな事業をつくっていることだ。会社だけに所属するという意識ではなく、面白い事業があれば個人単位でチームをつくる流れになると思っていた。この街ではそれが自然に生まれている。

寺西 そのような動きが生まれるには、何が必要だったのか。

原田 最初の一歩を踏み出すこと。誰かが実行することで「そういうやり方もあるのだ」と気付く。みんなやりたいことはあるけど、1人でやるのは大変。でも自分の不足を埋める人たちが集まればできる。三豊では「ないものは誰かと組んでつくろう」という考え方が浸透している。

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▽帰らない人々

寺西 どうやって地元に溶け込んだのか。

原田 私が事業を始めるというリスクを負ったことで信頼関係を築けた。コーディネーターやコンサルティングの立場で地域に入っていたら、周囲の目は今と違っただろう。地元の人たちは「本気かどうか」を見ている。UDON HOUSEを開いた頃、予約が入らない日に地元の経営者らを集めて飲み会を開いた。気が付けば私が地元の人同士をつなぐ接着剤の役割を果たしていた。

寺西 UDON HOUSEがネットワークづくりの基盤になった。

原田 意図していなかったし、深夜になっても誰も帰らなくてつらかった(笑)。私が「帰って」と叫んでも、20人ぐらいが地域の未来を熱く語り続ける。みんなこういう場所を求めていたのだと感じた。

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▽内と外を混ぜる

原田 (観光地としての歴史が浅い)三豊は、昔は良かったというノスタルジーがないのが強み。地域が盛り上がる秘訣は、内と外の人がいいあんばいで混ざり合うこと。成功体験にしがみつかないことが肝要だ。

寺西 私は異質な人たちが混ざることが社会に必要と信じ、行動している。原田さんは今後どのようなことをやっていきたいか。

原田 地元の人が思い付かないことをやりたい。よそ者だからできることがある。讃岐うどんを学びながら地域を楽しむUDON HOUSEもそう。一泊3万円のうどんの宿を地元の人はやらない。また地域の人材不足を解消するために瀬戸内ワークスを立ち上げた。ほとんどの地元企業は東京など地域外に求人情報を出していない。地域の内と外をつなぐ役割を担いたい。(観光地でリモートワークをする)ワーケーションや人材の流動化は、コロナ禍が訪れる前に始まっていた。ただ働くだけでは人々の欲求は満たされない。やりがいや人とのつながり、心地よい住環境を求める動きが大都市を中心に顕在化していた。瀬戸内で働こうと呼びかければ都市部から一定の反応はあると予想していた。新型コロナはその流れを加速させた。

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▽届けたいのは、文化

寺西 UDON HOUSEは、うどん作りや畑での収穫など体験がセットの宿。コロナ禍にどう向き合ったのか。

原田 海外からの宿泊客は今年の3月からゼロに。4月と5月は完全休業した。考えた結果、体験なしの素泊まりはやらないことにした。体験あってのUDON HOUSE。その思いを、打ちたての讃岐うどんをお客様に直送する『うどんのおうち』に詰め込んだ。8月から販売を開始した。今は平日に製麺作業をして、主に週末に宿泊を受け入れるという二足のわらじでやっている。

寺西 うどんのおうちで届けようとしているものは何か。

原田 讃岐うどんの文化。うどんではなく文化を届けている。UDON HOUSEでの体験と同じものを目指した。小さな箱にどう文化を詰め込むか。うどんのおうちは月に1回、うどんと出汁が届く。しょうゆうどん、冷かけ、釜玉の味や作り方を知ることができる。6カ月で、讃岐うどんを少し語れるようになる。箱には、うどんのトリビア満載のすごろくが描かれている。

寺西 讃岐うどんの魅力は。

原田 ほぼ全ての県民に浸透していること。無口な人にも「どのうどん店が好きか」と聞けば、会話が成り立つのが香川県。文化だと思う。ナイスタウンほど「うどん特集」をやるタウン誌は日本全国を探してもないのでは。稲庭や水沢などご当地のうどんもあるが、讃岐うどんは最強だ。

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▽自分の人生を生きる

寺西 「いい街」のキーワードは自主性だった。自分がやりたいことをやる力を地域でどう育んでいけるか。

原田 教育だと思う。よく「まちづくりは人づくり」と言われる。日本の学校教育では自主性を育みにくい。会社員は与えられた給料をどう使うかという思考から抜け出せない。日本の教育はお金についてあまり教えないので、お金を自分で生み出す、または投資して増やすという意識が希薄だ。発想の起点が「与えられること」では、そもそも自主的でない。新型コロナはチャンスにもなり得る。仮に厳しい状況が何年も続くと企業は従業員を守り抜けるのか。国にも企業にも頼らず、自分をどう守るかが大事。誰もが個人事業主、経営者のような思考を持つ必要があるのでは。決断に責任を持って生きていく。それが当たり前になってほしい。私は自分でUDON HOUSEを開業すると決めた。人にやらされると、うまくいかない時に言い訳をして逃げてしまうから。

寺西 どんな立場にいても取り入れることができそうだ。

原田 その通り。経営者にならなくても決断はできるし、自分の時間を取り戻せる。心の持ちようだ。

寺西 未来の三豊をどんな街にしていきたいか。

原田 シンプルに地元の人が地元を好きと言える街にしたい。私が「三豊大好き」と言うだけではだめ。地元に育った人が地元を好きで、次の世代にも残していきたいという思いが続くことが理想だ。私の役割も時代の進展の中で変化していく。地元の人たちにとって起爆剤になれたらうれしい。