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社会保険の意義

保険料が徴収される年金、医療、介護、雇用などの社会保険は、しばしば批判にさらされる。社会保険料負担の軽重は、社会給付とのバランスで考えることが重要である。その際、個々人ベースではなく社会全体ベースで検討しなければ、社会保険の意義を見失ってしまう。税金と社会保険料は国民負担とされるが、対価が異なることに留意。


社会保障制度は国家の一角をなす

社会保障制度は、国民の「安心」や生活の「安定」を支えるセーフティネットです。
「社会保険」、「社会福祉」、「公的扶助」、「保健医療・公衆衛生」からなり、子どもから子育て世代、お年寄りまで、全ての人々の生活を生涯にわたって支えるものです。

(厚生労働省ウエブサイト「社会保障とは何か」より)

国家に関しては、古今東西、賢人哲人が様々な定義を試みており、それなりに筋が通っているものが現在まで残る国家観であろう。それらと対抗するつもりはさらさらないが、本稿では個人個人では背負いきれないリスクに全体で対処する機能として国家を捉えている。そうした機能の一つが社会保障制度であり、社会保障制度は国家の一角をなすとも言えよう。本稿ではそうした社会保障制度のうち、しばしば批判にさらされる社会保険に焦点をあてる。

保険料納付者と給付受給者のズレ


老若男女問わず病気や怪我などで給付を受ける可能性がある医療保険については、保険料水準や給付内容に対する批判はあっても、制度そのものへの批判は少ないと思われる。雇用保険は雇用関係にある者が対象であるため、全国民が対象の他の社会保険とはやや性格が異なる。
一方、公的年金、介護保険については、保険料納付者と直接的な給付受給者がある一時点では別人であるため、保険料水準に加えて、しばしば制度そのものへの批判が生じる傾向がある。しかし、公的年金については給付年齢に達する前に事故死などで急死しなければ、いずれ給付受給者になる。また、給付年齢に達する前に保険料納付者が他界しても、家族がいるのであれば、残された家族が遺族年金を受給できる。
また、介護保険や医療保険などについても言える話であるが、保険料納付者自身が給付受給者にならなかったとしても、社会全体で考えれば保険料納付者は社会保険のメリットを既に享受していることになり(メリットは後述)、社会保険が無い世界よりある世界の方が確実に良い。

社会保障制度は全体で考える


租税負担と社会保障負担を合せた義務的な公的負担の国民所得に対する比率を国民負担率と呼び、その高低を論じることがある。

国民負担率=租税負担率+社会保障負担率

さらに、財務省などは財政赤字を加えて、「財政赤字を含む国民負担率」を提示し、将来世代の潜在的な負担を示すものとしている。将来世代に過度の負担を負わせてはいけないというお題目の下、社会保障の必要な部分まで含めた削減と増税を正当化しているように見えてしまう。
この議論に深入りすると長くなるので、本稿では租税負担の話は置いといて社会保障に焦点を当てるが、社会保障は全体で考えないと議論が迷走する。なお、社会保障は社会給付と一体となっている。一方、税金は政治家と官僚が差配しており、実質的には予算配分権限として財務省の力の源泉の一つとなっている。
まず、社会保障負担という表現が誤解を生じやすいと思うのであるが、余計な経費を削減すべきという話を置いておけば、社会全体では負担ではなく支え合いである。給付の面を考えなければ、社会保障の存在意義そのものを見失う。数値的にとらえやすいということで、以下は公的年金を中心に話を進める。

給付に着目すれば社会保険はメリットが大きい

(1)公的年金における保険料と給付額のバランス

まず単純に保険料と給付額の推移を見てみると、図にあるように、保険料よりも給付額の方が多い。「国庫・公経済負担」という税金が投入されているからであるが、少なくとも現在時点では国民全体で見れば、公的年金制度内では支払っている額以上の金額を受け取っていることになる。ただし、投入されている税金の元手は国民が支払っているので、2021年度、2022年度については、ほぼプラマイゼロとも言える。
 
図:公的年金制度全体での保険料、国庫・公経済負担、給付額の推移

出所:厚生労働省「公的年金各制度の財政収支状況」より筆者作成(図の注を文末に記載)

いずれにしても、公的年金に対する支払額と公的年金からの給付額がバランスしている限りにおいて、国民全体としては負担が生じていることにはならない。もちろん、年度毎の個々人で見れば現役世代は支払と受取という意味でマイナス、引退世代はプラスとなるが、生涯を通じては個々人ベースで見てもある程度バランスするように設計されている。さらに、想定外に長生きしたり、逆に給付開始前に他界したりする人も少なからずいるであろうから、生涯を通じても個々人間ではプラスの人とマイナスの人が生じるであろう。
しかし、そうした単純に個々人の支払受取の損得ということに囚われると社会保険の意義を見失ってしまう。

(2)直接的な金額の収受では計りにくいメリット

現役世代の年金保険料は引退世代への年金給付となっており、その給付が引退世代の消費に繋がっている。従って、特に引退世代向けの商品・サービスが主力の企業は、極端な話として公的年金制度が消失したら商売上がったりとなってしまう。
公的年金制度が充実する前の時代は、富裕層でない限り、老齢となり引退した親世代を現役の子供世代が支える形であった。それでも国民の大半が農村に基盤を置いていた時代であれば、贅沢をしない限り衣食住を何とか確保する道は模索できた。しかし、都市化が進み、核家族世帯が増え、少子化反転の兆しが見えない現代において、引退した親世代を現役の子供世代が各々支えるのは現実的にどの程度可能であろうか。公的年金制度は引退世代の自立を可能とし、現役世代の自由度を増す制度である。
また、社会全体で引退世代に対するケアを負担することによって、現役世代の特定の人々に過度に負担がかかるのを緩和している。もし社会保障制度が機能しなかったら、現役世代の何割かは引退世代のケアに時間とカネと体力を消耗し、生産活動に従事できなくなるであろう。そのような事態が生じた場合、生産活動参加が難しくなる本人だけでなく、その人が属していた組織にも欠員が生じて損失となる。社会全体で見ても、その人が生産活動に従事していれば生み出していたであろう付加価値を得られないことになる。
社会保障負担という言葉は、現役世代の保険料等負担だけに着目するミスリードとなりやすい。社会保障、社会保険の話は、支払と受取が社会全体として適正バランスであるかを議論すべきである。その際、単に金額的な支払受取のみに着目するのではなく、社会保障制度の存在によって回避されている機会損失も視野に入れることが肝要である。ここで言う機会損失とは、生産活動に従事するはずであった現役世代が生産の場から離れざるを得なくなるような状況等を指す。そうした状況が生じれば、その現役世代の所得が減少、消費も減少し、社会全体から見れば縮小スパイラルの発生に通じる。
もちろん、制度運営に無駄がないか、給付が過剰ではないかについては、適時チェックが求められ、問題がある場合は是正しなければならない。実際、高齢者医療をはじめとして給付が過剰、年金事務等に無駄が多い、等々の課題は沢山ある。
そうした課題を改善しつつ、国家的視野で社会保障制度、社会保険制度の持続可能性を高めていく姿勢が重要であろう。


図の注
注1:公的年金制度は、国民年金(基礎年金)、厚生年金からなる。厚生年金は2015年の被用者年金制度一元化以前は、厚生年金、国家公務員共済組合、地方公務員等共済組合、私立学校教職員共済に分かれていた。
注2:「国庫・公経済負担」は、基礎年金の一部について国庫又は地方公共団体等が負担している負担額。
注3:図示した期間前半の給付額と保険料+国庫・公経済負担の差は、「解散厚生年金基金等徴収金」が大半を占める。


20240524 執筆 主席研究員 中里幸聖


前回レポート:
防衛国債による防衛費確保」(2024年5月17日)


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