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リスク分散と新時代への離陸に向け首都移転を

我が国の停滞感を払しょくする手法は様々に考えられるが、抜本的な変革に向けて改めて首都移転を検討する時が来ている。我が国では大きな時代の節目は首都移転を契機としている。東京一極集中は今や弊害とリスクが大きい。しかし、首都移転の議論は頓挫したままである。首都移転の方式として、道州制導入と「転都」を提案する。


大きな時代の節目には首都移転


コロナ禍がほぼ収まる一方、デフレ基調からインフレ基調への転換、第三次世界大戦の懸念など激動期入りを印象付けた2023年も残すところ半月ほど。今回は国家百年の計に関わる話題を記したい。
古来、我が国では天皇のおわすところが都(みやこ)であった。しかし、行政上の首都は必ずしも都と一致していたわけではない。
文献的資料が乏しい縄文時代、弥生時代、古墳時代は別にして、我が国では飛鳥時代、奈良時代、平安時代、鎌倉時代、室町時代、安土桃山時代、江戸時代、と近代(日本の場合明治時代以降とされる)以前は行政上の首都(以下、単純に「首都」)が存在する地名を基に時代区分の呼称がなされてきた。別言すれば、時代を画するような変化は首都移転を伴ってきた。
やや細かい話ではあるが、江戸幕府最後の将軍である徳川慶喜は、将軍に就任してからは京都に常駐していたため、一時的に実質的首都が京都に移ったと考えることもできる。つまり幕末に一旦、江戸から京都に首都が移転し、明治時代は京都から再び東京に首都が移転したと捉えることも可能である。
ちなみに、近現代については明治、大正、昭和、平成、令和と単純に元号で呼称したりすることもあるが、第二次世界大戦を挟んで戦前、戦後という区分が長らく人口に膾炙していたように思う。敗戦によりGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)による占領支配が実施されたので、物理的な首都は東京で続いていても、実質的な行政機能のトップは東京の日本政府からGHQに移管されていたと見なすこともできよう。

東京一極集中の弊害と危険性


東京一極集中の弊害は、長いこと問題と認識されていたが、一向に解消する気配がない。
東京、埼玉、千葉、神奈川の一都三県の面積は日本全体の4%弱であるが、人口は総人口の約30%を占める(2022年10月1日時点。出所:総務省「人口推計」、国土地理院「全国都道府県市区町村別面積調」)。
コロナ禍が猛威を振るっていた時期には空いていた首都圏の朝夕の通勤・通学時間帯の電車は、現時点ではコロナ禍前のラッシュに戻りつつある。首都圏では、金曜夜の繁華街、土日祝日の行楽地やイベントなども同様に物凄い人出で、度々行列に遭遇する。高速道路では、連休開始時の東京圏からの下り路線、連休終了時の上り路線の渋滞が多発している。日本全体では人口が減っているはずだが、首都圏の人の多さは異様である。
一方で、地方ではかつて賑わったような場所でも閑散としている地域が増えている。卵と鶏のような側面もあるが、住民の流出が進み、市街地中心部がシャッター街と化してしまったり、鉄軌道が廃止になったりしている。「『すずめの戸締まり』から考えるコンパクトシティ、国土強靱化」(2023年1月17日)で触れたように、新海誠監督の大ヒット映画『すずめの戸締まり』は、人口減少、過疎化が進む日本の現状を象徴する廃墟が舞台の一つであった。
関東大震災から既に100年が経っており、地質学的には首都直下型地震はいつ発生しても不思議ではない。北朝鮮、共産中国、ロシアのミサイルは常に東京に照準を合わせているはずである。武漢ウイルス(COVID-19)によるコロナ禍は、大都市の脆弱性をまざまざと見せつけた。その他の自然災害や人為災害などを含め何らかの原因により東京の機能が長期に亘って麻痺した時、我が国の社会経済はマトモに機能できるのだろうか。

抜本的変革として「転都」構想を

(1)国会等移転に関する議論

東京一極集中問題については、「東京の過密とそれに伴う弊害が顕在化してきた昭和30年代以降、学界や研究機関等から多くの提言」が行われてきた(国土交通省「国会等の移転ホームページ」「国会等の移転に関する主な経緯は」より)。「政府も、『第3次全国総合開発計画』(昭和52年)、『第4次全国総合開発計画』(昭和62年)等で、国土政策上の重要な課題として位置付け」ていた。
いわゆる「バブル景気」に伴う異常な地価高騰が顕著になった1980年代後半には、首都移転が本格的に議論された。1992年には「国会等の移転に関する法律」が成立し、1999年には「国会等移転審議会」が首都機能移転候補として、「栃木・福島地域」、「岐阜・愛知地域」、「三重・畿央地域」を答申した。しかし、バブル崩壊に伴い地価が下落したことなどもあり、首都移転の議論は下火となってしまった。
なお、「国会等の移転とは、三権(立法・行政・司法)の中枢機能を東京圏外の地域へ移転することで、『首都機能移転』ともいわれます」(国土交通省「国会等の移転ホームページ」「国会等の移転とは」より)としている。しかしながら、衆議院国会等の移転に関する特別委員会(平成8年6月13日)で、当時の橋本龍太郎総理大臣は、「私は、首都移転というつもりはありません。皇室に御動座をいただく意思はありません。」、「国会等の移転に関する法律に基づきます検討、それは首都移転あるいは遷都を前提として行われるものではありません。」(国土交通省「国会等の移転ホームページ」「国会等の移転は首都移転と違うのか」より)と発言しているそうである。

(2)ICTが進展しても…

コロナ禍を奇貨として、リモートワークや地方都市への企業移転が進むとの希望的観測があり、実際に一部では進展があった。しかし、既述した首都圏の通勤ラッシュなどを見る限り、コロナ禍が過ぎてみれば元の木阿弥である。情報通信ネットワーク関連技術いわゆるICT(Information and Communication Technology)をはじめとする各種技術がどんなに進歩したとしても、それを使う人間及び社会システムが旧態依然のままでは宝の持ち腐れに終わる。
国土交通省「国会等の移転ホームページ」では、平成30年までは毎年「Webニューズレター」を発行していたことが確認できる。令和に入ってからは「Webニューズレター」を作成していないようである。平成30年5月発行の第82号では、「首都機能分散移転における情報通信技術(ICT)の活用について」と題して、ICT戦略や活用について記述しているが、首都機能移転とは程遠い内容ばかりと感じるのは筆者だけであろうか。
つまり、政治・行政上のテーマとしては、首都移転は大半の人々から忘れ去られているようである。

(3)諸改革にもかかわらず閉塞感を強める日本

東京一極集中の弊害は首都移転の議論が盛んだった当時とほぼ変わらず、地震やミサイルなどのリスクはますます高まっている。しかしながら、現状では首都移転の話はほとんど聞かれない。
一方、2012年末頃からのアベノミクス開始時に一時的に日本社会の閉塞感が緩和されたように思えたが、その後の2度の消費税増税や的を射ていない少子化対策を始めとする社会経済の舵取りの迷走は、日本社会の閉塞感を一層強めているように感じる。なお、少子化対策等については「『公的お見合い制度』と『学費無料』が少子化対策の第一歩」(2023年1月31日)も参照いただきたい。
偶然か否かは議論の余地があるが、冷戦終結とバブル崩壊はほぼ同時期であった。その後の日本は小選挙区制導入(細川護煕内閣)、日本型金融ビッグバン(橋本龍太郎内閣)、聖域なき構造改革(小泉純一郎内閣)などの政治・経済・社会にわたる様々な改革を実施した。これらは冷戦終結後の世界への適応を目指していたと考えられる。これらの改革はやらないよりはマシだったかもしれないが、「失われた30年」の現実を見ると、抜本的な改革には至っていないと結論できよう。
防衛費増額は喫緊の課題、求められる地政学のセンス」(2023年1月23日)、「デフレの時代からインフレの時代へ」(2023年2月3日)などで触れたように、世界はさらに激動期に入りつつある。
帝国主義時代における列強の侵略から、日本の独立を維持するための社会変革が幕末明治維新の動乱であった。幕末の閉塞感を打ち破り、列強と対峙するために中央集権化を進めたのが明治維新であった。
列強に対抗するための手段に過ぎない中央集権体制を、帝国主義時代が終焉した現代でも維持・強化していることが、我が国の先の見えない閉塞感の原因の一つとなっているのが現状と考える。

(4)リスク分散の実現、社会経済活性化をもたらす「転都」

先進国の一角をなす現代日本において、幕末明治維新期のような内戦を伴う形での変革は現実的ではないであろう。なお、大政奉還、王政復古は無血で実施されたと見なされており、内戦(戊辰戦争など)はその後に起きている。
国内の歴史から学ぶのであれば、平城京遷都、平安京遷都が参考になろう。「二つの自給率向上が生き残りの鍵(4) -分散型エネルギーの推進-」(2023年3月6日)などで触れたように、いずれも水資源や木材資源(当時はエネルギー源でもあった)などのインフラ面の問題が背後にあると考えられるが、教科書的には当時の豪族や仏教界(南都仏教)などの守旧勢力の政治的社会的影響力を排除することが大きな動機だったと考えられている。実際、平城京遷都、平安京遷都、共に当時の社会制度を大きく変革することに成功している。
前記のように考えるならば、平和裏に大きな変革を実現するには、首都移転は大きな威力を発揮すると期待できる。
ここではさらに進んで、道州制導入と「転都」を提案したい。長くなってきたので、道州制について知りたい方は、総務省内閣官房、日本経済団体連合会(経団連)のリンクを張ったサイト等をご確認いただきたい。「転都」のアイデアや意義については筆者の独創ではなく、佐治芳彦氏の『世界最終文明と日本』(徳間書店、1997年)に基づいている。
「転都」は、現在の東京よりはコンパクトな首都機能を備えた都市を、各地域ブロックに建設し、それぞれを地域の政治、経済、文化の中心とし、情報発信機能を持たせ、それらの諸都市が輪番的に首都となるシステムである。
道州制の州都に相当する都市を日本各地に建設するイメージである。完全な新都を建設する必要はないし、コスト的にも無駄であるので、既存の各地域の中心的都市を再構築することが望ましい。都市の再構築については、「LRT、路面電車を起爆剤にした街活性化」(2023年8月7日)で触れた、宇都宮や富山、路面電車の新ルート開線も含めた再開発進行中の広島、などが参考になろう。
 
図:道州制のイメージ図

注:出所資料8頁掲載の「道州の区域例-4(区域例-11)」の図を抜粋。図の左上の説明文字を削除。
出所:内閣官房ウェブサイト「道州制ビジョン懇談会区割り基本方針検討専門委員会 議事次第」(平成21年8月3日)配布資料5「『経済的・財政的自立が可能な規模』に関するデータについて(平成21年2月23日第4回道州制ビジョン懇談会区割り基本方針検討専門委員会机上配布資料の抜粋)」 ( https://www.cas.go.jp/jp/seisaku/doushuu/kuwari/dai7/gijisidai.html )を一部加工して筆者作成

各地域ブロックについては、上図のようなイメージである。「日本の首都は、これらの諸都市を定期的に移動する。二〇~三〇年おきに転都を行なえば、人心一新にきわめて有効だろう(…中略…)中央対地方の対立意識や優劣意識といったものの発生の恐れはない」(前掲書252頁)と思われる。佐治芳彦氏は20~30年と書いているが、同書が刊行されてから四半世紀を経てICTが飛躍的に発展した現在においては、10年程度でも良いかもしれない。普段は州都として機能し、輪番が回って来た時は首都として機能させる。
また、自然災害やミサイル飛来などの人為的災害などにより首都が機能停止状態に陥った場合は、即座に「首都予備群のなかの一つに移動」(前掲書252-253頁)することができ、リスク対応力が高まるであろう。
「転都」が絶対的な解決策とは言わないが、どのような形であれ、首都移転を実現する時節が到来している。もちろん、首都移転を伴わなくても、東京一極集中の解消と、日本の社会経済全般の閉塞感打破、国防上のリスク低減を図る方策があるのであれば、それを実行して欲しい。


20231214 執筆 主席研究員 中里幸聖


前回レポート:
資金循環統計からみた国債と日銀」(2023年11月27日)

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