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2024.3.29 おわりとはじまり

 鳥の声が聞こえて目が覚める。雨が止んだのかいつもより明るく感じる。リビングから聞こえるテレビの音で寝坊したことを知った。
 春休みになり子供たちを起こして、お弁当を作らなくてもよくなった。寝坊し放題だ。それでも8時には起きて末っ子に朝ごはんを食べさせ、保育所に送り届ける。雨の日も風の日も、生理だろうが産後だろうが、会社は休んでも保育所には行くのだ。そんな日々も今日で終わる。

 長女をはじめて預けたのは2007年。1歳になったばかりの長女を預けて、毎朝時間と格闘しながら会社に行った。2009年か2010年には今の保育所に移り、そこから14か15年、5人の子どもがお世話になった。当時勤めていた会社は辞めて、石屋にパートに行き、マクラメの制作を委託されるようになった。自分でも販売を始め、占星術やらなんやらと手を広げた。今は旦那氏の仕事を手伝いながら、細々とカードを引き、家計より家族を支えるのがわたしの分担となった。

 自転車の前と後ろに子どもを乗せて、抱っこ紐でもうひとり抱えて、スーパーの買い物袋と子どもたち3人分の着替え、お昼寝布団ふたつを肩とハンドルに引っ掛ける。金曜のお迎えのお決まりの格好だった。保育所ではパパ友に「いつ見ても曲芸みたいやな」と言われた。下の子は違う保育所に預けていたため、朝夕に保育所ふたつと会社とスーパーを自転車で爆走する日々も過ぎてしまえば、2度とやりたくないが懐かしく思える。委託の仕事で時間ができたあたりから、子どもたちとは手を繋ぎ歩いて送迎することが増えた。小さかった手が大きくなり、歩くのを渋って抱っこやおんぶをしていた子が、目の前を駆けていく。夕方、影踏みをしたり「白しか踏んだらあかんねんで」と道路の白線を使った謎の遊びをしながら帰るのも今日が最後だ。

 卒業と入学は、日が沈みまた昇るのと似ている。公園でいつまでも続くように思えた時間も、暗くなったら家に帰り、翌日また朝から公園に出かける。同じように見えても今日という1日は今日でしかなく、昨日とは違い、明日とも異なる。人は今日を、一瞬一瞬を生きている。今はすでに過去になり、未来という時間は来ない。世界には今という一瞬しかないのだと、中3の卒業式に熱く語ったことを思い出した。
 今という時の中に子どもを3人自転車に乗せたわたしが、中3のわたしがいる。

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