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他生の縁と淡い夢

 夢を見た。
10代の頃バイトが一緒だったK君が、今でもあのバイト先であの頃のまま働いていた。相変わらず姿勢が綺麗だった。学生みたいな女の子と話していた。たまたま店に入った私はK君を見つけて嬉しくなったけど、自分がおばさんになっていたことに気後れして話しかけることができなかった。
 K君の家は神社の神職だった気がする。お客さまに頭を下げる時の美しいお辞儀は宮司さんの礼からきてたのかもしれない。大学生のバックパッカーだったK君は大型連休になると旅行に出かけた。インド、マレーシア、トルコと東南アジアが多かった気がする。お土産をねだるとなにか小さな置き物を買ってきてくれた。地元の狭い世界しか知らない私は旅行の土産話や宗教の話など、自分の知らない話を聞くのがとても楽しかった。「お前、Kのこと狙ってんの?」とバイト先の社員にニヤニヤしながら訊かれたことがあった。隠すつもりもなかったが、私の好意は丸見えだったようだ。好きというより、好意という言葉のほうがしっくりとくる感情だった。K君は和歌山のええとこの長男で私は下町の粗雑なヤンキー風。同じ場所にいても纏っている空気が違う気がした。

 一度だけK君とふたりで京都に紅葉を見に行ったことがある。時期が早かったのか木々はまだ紅くは染まっていなかった。どこまで行ったんだろう。鞍馬山だった気がする。紅葉はしていなくても京都は寒くて、車両の少ない電車の中で震えるわたしの手をK君はそっと握ってくれた。「少しは寒いのマシになった?」
それまで私はお酒の席で口説いてすぐにSEXしたいだけの男の人と付き合っていたから、K君が手を握ってくれただけでドキドキして下を向いた。隣に触れた肩が温かくて少し眠くなった。どこをどう歩いてなにをしたかも忘れてしまったけれど、帰りも手を繋いで帰ったことは覚えている。
 その後、K君と一緒だったバイトを辞めて、違うバイト先で旦那氏と出会うまでK君とはそれ以上進展することはなかった。

 あれから25年。紅葉も終わっているであろう12月初旬、珍しく友人男性と2人で京都の寺へ坐禅に行くことになった。この人とは同じ年の子どもを持つ親同士、今後も関わりは続く。袖触れ合うも他生の縁というが、触れ合ったご縁のゆく先は誰にも分からない。


こちらは先日伺った丹生都比売神社


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