2024.2.4 変化の足音

子どもたちが学校に行った平日の朝8時半。ゆらゆらと湯気を揺らしながら、コーヒーが入ったカップを片手に子どもたちが置いていった学校のプリント類に目を通す。

1月21日に冥王星が水瓶座に入った途端に改革の波がやってきた。年が明けて今年度もあと少しというタイミングで、小学校のPTAは臨時総会で更なる業務の簡素化を決議し、保育所の父母会も臨時総会で解散を提示した。子どものスポーツでも持ち回りの当番の廃止が決まった。
小学校も今の公立保育所も関わり出してから14年は経つと思う。細々と役員だか委員だかをやり、中学校に至っては子ども5人全員免除になるならと全く経験がないにもかかわらず会長もやった。個人的な感想は「今でも自分からやりたいとは言わないが、結果的にはやってよかった」である。
PTAにしても子どものスポーツにしても最近は父兄のお客さま化を感じることが多い。保育所も学校もサービス業だと勘違いしてる人が一定数いるように感じるのだ。学校も保育所もサービス業ではない。行事に参加するのはいいが運営に関わるのは嫌だと聞くことがある。そう言った文句を言う人ほど、客として観てもマナーがなっていないように思えるし、快適なサービスを受けるほどどの教育機関にも金銭を支払っていないように思う。ひたすら自分の立ち位置を受動側に置き、受け取ることだけを考えて、下手すると自分からはお金も労力も差し出すことも人のために能動的に動くこともせず、自分が役割を引き受ける場面になってPTAも父母会も不要だと言い出す人の多いことよ。

個人的にPTAも父母会も大して興味はないし、スポーツの当番の廃止は大歓迎である。ただ、少し思うのだ。PTAや父母会、スポーツの当番だって、嫌々でもやってみると意外と楽しいもので横の繋がりができる。長女長男の時に一緒に役員を経験して仲良くなったママ友とは、5年経とうが10年経とうが今でも顔を合わせると、子どもの受験からバイトのこと、男女関係の悩みまで昨日も会ったかのようになんでも話せる安心感がある。子ども同士は仲が良くても親同士が繋れる関係は、子どもが大きくなればなるほど少ない。だからこそ子どもが幼いうちに培った関係は貴重だし、ありがたいものだ。わたしの場合、それらはPTAや父母会、子どものスポーツで繋がったご縁だった。本当に面倒でなんでこんなことしてるんだろうと思っていたが、あの時間が地域的なご縁を繋いでくれたと思う。

「世間って人が作ってると思わん?」
そう言って話したのは誰だったのか思い出せないが、世間や社会なんて言葉が大きく感じるだけで、指し示すものは顔も覚えていないような袖がふれあう程度のご縁の人たちだと思う。

冥王星が水瓶座に入り、風の時代、個の時代が本格的に始まっていく。今までのように会社やPTAや父母会のような団体が社会を作るのではなく、個人の行動が社会を作っていくようになると思う。相互扶助を名目とした団体の解散が相次ぐのも、時代の流れなのだろう。世間や社会はますます顔の見えないものへと変わっていくのだろうか。普段関わりのない人たちと接点を持つことのない人たちは、世間と聞いて何を思い浮かべるのだろう。なんにせよ、お客さま感覚の視点しか持つことが出来なければ、そこから見える世界はとても偏ったものになるように思う。できるなら子どもたちに広い世界を見せるべく、自らいろんな経験を積み大きな視点で世界を見ることができる大人になりたいと、コーヒーの湯気を見ながらわが身を振り返りつつ、ため息を苦いコーヒーと一緒に飲み込んで立ち上がる。さあ、晴れてるうちに洗濯物を干そう。

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