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ただの日記(2/16〜2/22)

2/16(日)

お昼にコルクのオフィスへ向かう。この日はコルクラボのメンバーで個人事業主が集まって確定申告の作業会だった。自分も青色・白色を経験してることだし、何か手伝えるかと思い顔を出しに行く。

はじめましての人が4人ほどいたので少し緊張した。そうは言ってもサポート役が顔見知りしたら不公平だろう。腹を決め、自己紹介もそこそこに確定申告のための税務処理についてひたすらレクチャーした。困ってる人を前にして緊張してる場合ではない。

今回に限らず、大義があれば自然に行動できるのかもしれない。コルクラボもふつうに入会しただけでは、人見知りや遠慮をして馴染めなかった。

結局、運営スタッフである同僚をサポートするスタッフとなることを静かに決めてようやく気持ちが固まった。役に立てばここにいていい、そういう理由が欲しかったのだろう。

2/17(月)

先週休んだ分を取り戻すために、ワークプランを確認しつつ、残ったいろいろなことをなんとか進める。夕方以降の記憶がない。

2/18(火)

いろんな人の相談や調べものを手伝っていたら一日が終わった。今やっていることを他にどう展開するかを考えると気が楽だ。限られた自分のリソースをちゃんと振り分けたい。

勉強は複利で利いてくる、とよく言ったもので、数ヶ月前は意味がわからなかったものが繋がってきた。手応えと、踏ん張ってよかったという安堵が込み上げる。

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夜はコルクラボのメンバーと渋谷ストリームの“土鍋炊ごはん なかよし”へ。

駅近で、店内の雰囲気もよく、何よりごはんがおいしい。とてもおしゃれな大戸屋と言ったところだろうか。

わたしの頼んだ茄子と豚肉の味噌炒めは、春雨サラダ・切り干し大根・味噌汁が副菜としてついてきた。そして、店名のとおり土鍋炊きのごはんがおいしい。これで夜も1000円ちょっとで定食が食べられるのは、安すぎないだろうか。

定食よりは割高な各300円のごはんの友があったので、明太子とじゃこ山椒を半分こした。生山椒の痺れに舌の根から痺れる。珍しくごはんをおかわりしてしまった。

この日一緒にごはんを共にしてくれたのは、夏にコルクのイベントを手伝ってくれた人だ。そのときの気さくさと献身的なサポートがとても印象的で、その後も細々と交流させてもらっている。

これまで込み入った話は全然してこなかった間柄で、この日はじめていろいろな話をした。

モヤモヤすること、憤ることは、それだけ自分がそれを大事にしてきたということだ。その自分の気持ちを大事にしてね、と言われて、やっと半年前の自分におつかれさまと言えた気がした。

話す中で、「今は仕事、楽しい?」と聞かれて、「楽しくなってきたよ」と自然と答えた自分に少し驚いた。

そうか、自分は前より楽しいのか。

2/19(水)

この日も慌ただしく、思い出せないことの方が多い。ランチで自分の興味のルーツについて話せたことがよかった。公式を使うことが多い受験物理・数学において、しくみが気になりすぎて浪人しそうになり土壇場で文系へ転向したのは、コンプレックスでもあるが結果的に好奇心は守られた。後悔はしていない。

2/20(木)

この日は、同僚たちとコミュニティについてとてもおもしろいディスカッションができた。夜に残業をしながら、その続きについて話しているうちに新規事業についてアイデアが湧いてきて同僚と小躍りした。

その同僚とは、一緒に経営戦略の勉強もしているので、いろんなことが繋がっていく過程も共有できてすごく楽しい。お互いの興味が交差する存在のありがたさよ。

作業を終えてそのままnoteをオフィスで書いてから帰宅。

2/21(金)

いつかのタイ料理メンバーで、デザインの展示“㊙️展”へ。

みんなが知っているプロダクトのデザイナーたちの思考のプロセスを、膨大な資料や試作品を通して知ることができる展示だ。

目当ては学生時代から憧れていたデザイナーだ。特に隈研吾は中学三年生のとき建築家になりたいと思った、まさにそのきっかけとなった人だ。大学二年生のときにデザイナーを志望し始めたときから憧れていた原研哉、深澤直人も展示されている。

わたしはものづくりが好きだ。今は手を動かす側ではないが、それでも誰かの手に渡るものをつくることには人一倍の愛を持っている。“作ることは、贈ること”、これを自分のアイデアや造形力のなさに悔しくて歯を食いしばる度に思い出していた。

送り手の元を離れても、思いを宿したままでいてくれる、それがデザインという手段だ。人との関わりが苦手な自分にとって、これがどれほどの救いになったか、わからない。

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新型肺炎がとても怖かったので、退館時の消毒を念入りにした。

根津カレーラッキーに移動して展示の感想会。マスターのご好意でいただいた、生のイカとワカメのしゃぶしゃぶがたまらない美味しさだった。素材そのものの塩気だけ味わう海産物なんて久しぶりだ。他にもキュウリの浅漬け、ニラたっぷりの餃子、豚肉と大根の葉炒めをいただく。

いろいろ話す中で、ハッとすることを指摘してもらう場面があった。しかし、教えてもらうことに感謝しながらも、いろいろな恥ずかしさが押し寄せる。耳が熱くなるのがわかった。それは、言われたときにすぐ自分の非を認められなかったことと、言われてから気づくという、いわば思考停止していたことへの恥だ。

とは言え、慣例に従うことに自分の思考は存在せず、よって行動を変えることに感じる抵抗(バイアス)のみが問題だ。考えではなく行動を変えるしかない。

他には身近な人の死、というテーマになり、学生時代に亡くなった二人の人の話をした。自分は二人の死を経てもあまり変わることがなかったことがずっと引っかかっていた(報せを聞いたときはそれなりに驚き、ショックを受けたはずだった)。それが生前の彼らに対する、自分の分人の小ささのせいなのか、それとも自分の人間関係への意識の希薄さなのか。思えば、人間に興味を持ちすぎると疲れる、という人付き合いへの諦めのようなものは当時既にあったと思う。いわゆる回避傾向のようなものだ。

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父から連絡があった。毎年少しずつ買っていた、マスクとアルコールを少しだけ融通してくれるとのこと。昔から両親は危機管理能力が高い。もしも咳が出るようになったらマスクなしには外に出られないので、とても助かる。

2/22(土)

午前中は寝すぎた。ランチは近所で定食。マスターと新型肺炎について話す。

コルクラボの分析基盤の整備が進んでいなかったので、オフィスで少し作業。コルクラボ のメンバーがポッドキャストの収録で楽しそうだった。近くにいると絶対雑談してしまって作業が進まないと思い、大人しく自席で作業。

Slackに進捗を送ったところ、日曜日に相談相手と一緒に作業できることになった。直接話した方が早そうだったのでありがたい。

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夜は何週間ぶりかに恋人とごはんを食べる。忙しい彼に、もっと時間を作ってほしい、さみしいと駄々をこねてしまった。本人は疲労のためぼんやりして聴いていなかったが、その様があまりにかわいそうで思わず抱きしめた。こういう無性に込み上げる愛おしい気持ちに出会う度、ずっとこの人を大事にできたらいいのにと思う。こんなにストレートな愛情を注ぎ合える相手なんてそういない。

出先で買ってくれたがひと口しか飲んでいない烏龍茶のペットボトルを持ち帰る。翌朝これを飲み終わるまでは一緒にいるような気持ちになる。

わたしをサポートしたつもりになって、自分を甘やかしてください。