エクリチュールの断章—アルベルト・ジャコメッティ試論—
園江光太郎(Kotaro Sonoe)
■ディスクール
これまで様々な知識人たちが、アルベルト・ジャコメッティを語り、書き記してきた。確かにジャコメッティの作品は多くの知識人を魅惑させ、書きたいという欲望を喚起してきたのだろう。しかし、優れた批評の多くは文学者や哲学者によるものであった、たとえば、詩人のモーリス・ブランショは、次のように記している。
われわれが、ジャコメッティの彫刻を熟視する場合、そこから見るとその彫刻が、もはや外観の示す波動的な動きにも、遠近法の動きにも従って居らぬような一点がある。人は、それらを、絶対的に見ているのだ。つまり、もはや何ものにも還元されず、還元作用から引き離された、還元し得ぬものとして、見ているのだ。(註1)
このブランショのテクストは、知覚の現実と、「イマージュ」という言葉に集約される想像的空間の非連続性によるものであり、ジャン=ポール・サルトルも「想像上の空間の回復」(註2)と「唯一の人間的な統一」というタームでジャコメッティ論を書いている。
そうした批評——ボードレールに始まりヴァレリー、マラルメ、プルースト、ブランショ、サルトルにまで引き継がれる、フランスの批評言語——においては、芸術と文学、思想との自律的かつ連携しうる関係を示すこと、あるいはハイ・アートの予見性を語るテクストとしての意義は十分に認められること、モダニズム以降の美術批評に決定的に欠落した視点を持ちうるテクストとしての可能性は、十分に認められる。しかし、そこで向き合うべき対象は、当の芸術作品というよりは、他ならぬ文学者としての自己であった傾向が否めない。そして、それに比して美術批評の場においては、残るに値するようなジャコメッティ論があったのだろうか。
たとえば、アメリカの美術批評家クレメントは、ジャコメッティについてまとまった作家論としての記述を残してはいない。基本的にはハンス・アルプやブランクーシ、アンドレ・マッソン、あるいはパウル・クレーと共に詩的内容の再現性から抽象への移行との評価を与えていた。
しかし、彼の彫刻作品における絵画的メディウムとしての要素は、見落としてはいなかった。グリーンバーグは、1948年の《アルベルト・ジャコメッティ、クルト・シュウィッターズ》展に寄せたレヴューの中で、こう語っている。
その最終的なモティーフとファクターは、曲線と直線の相互に抗して横たわる。ピカソ、ブラック、ダリ、そしてレジェの最良のカンヴァスでの、観客の一部による単一の視点の要求、前面のアプローチとしての線において。そして、線と平面性の絵画的タームの中での、すべての彫刻の問題の置き換えとして。(註3)
ここでは、絵画の平面性や筆触などのメディウム論で語っているが、キュビスムとシュルレアリスムからの離脱という枠組みの中での評価でもある。全体的には、戦前の作品を中心としたものであり、戦後の作品には批判的な言及をしている。むしろ、グリーンバーグ自身はデイヴィッド・スミス、次いでアンソニー・カロを評価していた。
また、マイケル・フリードは有名な論文「芸術と客体性」の中で、リテラリズムの感性とシュルレアリスムの感性の両者とも「演劇的」との批判を加えながらも、「しかしながら、私は、それらが演劇的であるという理由から、上記のような諸性格を分かち持つような全てのシュルレアリスムの作品が芸術として失敗している、ということを述べていると理解されたくはない」(註4)と述べて、その例外としてジャコメッティの彫刻を挙げている。
アメリカのフォーマリズム批評では、美的価値にもとづく「客体性への抵抗」の視点から、デイヴィッド・スミスやアンソニー・カロなどの作品の評価が優位にあり、ジャコメッティらはシュルレアリスムの中での最良の例としての言及はあるものの、とりわけモダニズム批評の中では語る対象とはされて来なかった。
ロザリンド・クラウスは、自らのジャコメッティ論の中で、アフリカ、オセアニア彫刻への傾倒とともに、彫刻論を中心に記述しており、そこから水平性(ホリゾンタル)を導き出している。
しかし、クラウスによる、1930年代のジャコメッティの抽象彫刻におけるカーヴの形態や水平性にセクシュアリティを読み込む批評は、十分な根拠があるとはいいがたい。ジャコメッティのセクシュアリティに関する議論は、作品外在批評とまでは言えないものの、それでもなお、ジャコメッティ自身に対する精神分析学的な研究を作品に適用する傾向を持っており、グリーンバーグのメディウム論を超えていない。むしろここでは、彼女の批評方法に疑問を持たざるを得ない。
ジャコメッティ研究の一翼は、彼の芸術に心理的・伝記的根拠を与えることに極度の注意を集中している。この解釈への戦略ならば間違いなく、これまでに述べてきた〈見えないオブジェ〉の成立に一役かってきたもろもろの要因に加え、ソロモン諸島の霊の背後に浮かぶ、母親の幻覚の現前を挙げるだろう。(註5)
アントナン・アルトーは、『ヴァン・ゴッホ』(註6)の中で、ゴッホを語る者が必ずや触れる「不可解な行動」——手を焼いた事件、耳を切ってなじみの娼婦に送りつけた事件——について、芸術家の内面では必ずしも「不可解」ではなく、社会がゴッホを「狂人」に仕立て上げたと述べている。このことは、のちにアイルランドで精神病棟に収監された、他ならぬアルトー自身を投影させているとも言えるのだが、ここでの「狂気」とは、むしろ芸術家自身の、作品生産に対する固有の内的法則、あるいは作品生産の源泉のひとつに他ならない。
そしてそれは、ジャコメッティにおける性的衝動——幼少期の強姦・殺人願望と、彼のセクシュアリティの禁止装置としての妻アネットの存在、にも振り向けられるであろう。クラウスの視点では、30年代の原始的(プリミティヴ)彫刻との接触による抽象彫刻の制作と、シュルレアリスムの枠組みでの評価であって、ジャコメッティがシュルレアリストと断絶した後、モデルを使った人物彫刻に向かって以降については、具象彫刻への後退と述べるなど、いぜんモダニズム批評のパラディグムの中にある。
むしろ、彼女のジャコメッティ評価は、のちに書かれた『視覚的無意識』(註7)の中での、ジョルジュ・バタイユのアンフォルム(不定形)の概念の援用と、セクシュアリティの超克としての言及によって深化していったと言っていいだろう。それは、ミニマリズム以降もなお「現代美術」に引き継がれている「アメリカ型モダニズム」のパラディグムに対する、斜線的に引かれた逃走線としての可能性はあるだろう。
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