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#1832 一人一人に学びが成立しているか?

完全に今の学校教育は、「個別最適な学び」に踊らされている。
 
この「個別最適な学び」というワードは、中教審答申から出された「令和の日本型学校教育」の文脈で打ち出された文言である。
 
この中に「協働的な学び」という文言も含まれてはいるが、それがクローズアップされることはない。
 
なぜなら、「協働的な学び」というものは、「対話的な学び」と軌を一にしているからである。
 
さらに、このような「対話的な学び」「協働的な学び」というものは、これまでの伝統的な日本の学校教育で重視されてきた概念だからである。
 
そのため、「協働的な学び」という言葉があまりクローズアップされず、その代わりにインパクトのある「個別最適な学び」が強調されているのである。
 
この影響により、学校現場の教師たちは、「個別最適な学び」の在り方を見出そうと、日々迷走を続けている。
 
完全に、「個別最適な学び」というワードに踊らされ、翻弄されているのである。
 
なので、「自由進度学習」「自己調整学習」などのようなワードが脚光を浴び、授業に取り入れられるようになっている。
 
何を隠そう、私はその一人であり、自由進度学習を授業に取り入れようと試行錯誤しているところである。
 
このような構図になってしまうと、「落とし穴」にはまりやすくなる。
 
それは、「個別最適な学び自体を目的化してしまう」ということだ。
 
「学習は個別の形態でなければならない」
「子ども一人のそばにつき、個に応じた指導をしなければならない」
 
このような思考に陥ってしまう。
 
しかし、「個別最適な学び」は目的ではない。
 
手段である。
 
「個別最適な学び」の目的、つまり、それが目指そうとしているのは、「子どもたち一人一人に学びが成立すること」である。
 
「子どもたち一人一人に学びが成立しているかどうか」を見極めることが重要なのだ。
 
このことを忘れてしまい、「個別最適な学び」自体が目的になってしまうと、上記のように
「学習は個別の形態でなければならない」
「子ども一人のそばにつき、個に応じた指導をしなければならない」
という思考になってしまう。
 
この思考に教師が縛られると、子どもを個別の形態で学習させることを強いてしまう。
 
また、子ども一人のそばにつき、個別指導することに終始してしまう。
 
これでは、「協働的な学び」のチャンスが消えてしまう。
 
個別の形態で学習することや教師が個別指導をすることが「マスト」ではないのだ。
 
必要ならば、ペアやグループになって学び合ってもよいのである。
 
必要ならば、教師の周りに複数の子どもを集めて同時に指導してもよいのである。
 
このように、「個別最適な学び」の目的・ねらいである「子どもたち一人一人に学びが成立すること」を志向することができれば、上記のような柔軟な学習形態・活動・指導が可能になるのである。
 
「自由進度学習」「自己調整学習」などのワードは今のトレンドである。
 
しかし、このようなワードに踊らされることなく、学校教育の本質を見極めていけるようにしたい。

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