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#1497 抽象的な知識を帰納的・社会的に獲得する協働的な学び

「令和の日本型学校教育」では、「個別最適な学び」と「協働的な学び」の一体的な充実が叫ばれている。

「個別最適な学び」を実現することで、子どもに学習のコントロール権を与え、自由に学びに向かってもらう。

そのような個別的な学びの中で、ゆるやかな協働・対話が自然に発生する。

教師からの管理やコントロールがないので、自発的・民主的に協働・対話が生じるのである。

それこそが「個別最適な学び」と「協働的な学び」の一体化である。

このように、「基礎・基本的な知識」の習得場面では、「個別最適な学び」をベースにして、ゆるやかな協働性を付加していくべきである。

しかし「協働的な学び」とは、上記のような「無意図的に自然発生的に生じる協働・対話」だけではない。

教師が意図的に協働・対話を組織することも必要な場面があるのである。

それは「抽象的・概念的な知識」を獲得させるべき場面である。

教科等の見方・考え方を働かせ、教科等の本質に迫る深い学びを実現する場面である。

そのような場面においては、教師が意図的に「協働的な学び」を組織する必要がある。

子どもたちが多様な考え・意見を出し合い、教師が話し合いをコーディネートしていく。

そうやって最終的には、クラス全体でのまとめをする。

そうすることで、帰納的・社会的に「抽象的な知識」を獲得することができる。

それが個々の子どもたちの内部で、知識として社会的に構成されるのである。

これは、演繹的・個人的に「抽象的な知識」を獲得する場合とは雲泥の差が出る。

教科書や動画にある「抽象的な知識」を、個人で一方的に吸収しても、それは深い知識として残らない。

演繹的・個人的に学んだ知識はもろく、忘れ去られてしまう。

やはり、クラス全体での練り上げ・話し合いを通すことで、知識を帰納的・社会的に自覚することができる。

そうして獲得した「抽象的な知識」は「転移する知識」として、他の場面でも活用することができるのである。

だからこそ、教師は「知識のゲートキーパー」であってはならない。

教師がゲートキーパーである限り、子どもたちは正解を「当てっこ」するだけだ。

そうではなく、教師も子どももいつでも知識にアクセスできるからこそ、帰納的・社会的に知識を構成していくことができるのである。

個別具体的な知識はゆるやかな協働性に支えられた「個別最適な学び」で、抽象的・概念的な知識は意図的な「協働的な学び」で獲得していく。

このことを念頭に置き、授業をデザインしていきたい。

では。

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