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#1693 子どもの「未熟さ」を嘆いてもしょうがない

子どもは未熟である。

音読がつたない。

作文で「出来事」をつらつらとしか書かない。

全体の前で堂々と意見を発表できない。

話を聞けない。

このような子どもたちの「未熟さ」に対し、ただ嘆いていてもしょうがない。

「いつかよくなるだろう」と思っていても、その日は訪れない。

子どもの「未熟さ」に対し、何のアプローチもしないのであれば、いくら待っても成長しないのである。

それは教師の「怠慢」である。

子どもたちの「未熟さ」が気になるのであれば、適切な指導をし、それなりに「鍛える」ことが必要なのである。

「未熟さ」を嘆いたり、憂いだりしてもしょうがないのである。

まずは、目の前の子どもたちに必要な「指導事項」を規定する。

その指導事項について、教師が手本を示したり、説明したりして、子どもに実際にやってもらう。

子どもができていないのなら矯正フィードバックをし、できているのなら価値付けする。

以上を繰り返すことで、「指導事項」を定着させるのだ。

これにより、子どもの「未熟さ」がなくなり、学力的にも人間的にも成長していくことができる。

これはどんな指導にも通じるだろう。

山本五十六の名言に以下のようなものがある。

やってみせ 言って聞かせて させてみて ほめてやらねば 人は動かじ。話し合い 耳を傾け 承認し 任せてやらねば 人は育たず。
やっている 姿を感謝で見守って 信頼せねば 人は実らず。

昨今の教育界は、「子どもに任せる」「子どもの主体性を重視する」という方向に舵を切り過ぎている。

最初から子どもに任せても、「未熟さ」が露呈されるだけで、うまくいくはずがない。

そうではなく、最初は「やってみせ 言って聞かせて させてみて ほめてやる」必要があるのだ。

これにより、徐々に子どもたちに「力」がついていく。

子どもたちの力がついてきたところで、「話し合い 耳を傾け 承認し 任せてやる」ようにする。

そして、「やっている 姿を感謝で見守って 信頼する」ことを意識すれば、子どもは人間として自立(自律)することができるのである。


子どもの「未熟さ」をただ嘆き、何も指導しない教師にはなりたくない。

「指導事項」を明確にし、それを子どもに説明し、適切なフィードバックと価値付けができる教師になっていきたい。

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