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#347 個別最適→協働→個別最適

「令和の日本型教育」のあり方として、「個別最適な学び」と「協働的な学び」が提唱された。

これは真新しい響きがあるが、決して最新の教育を指しているのではない。

昔から大切にされてきたものである。

まずは「個別最適な学び」からスタートする。

「学び」とは本来、自己発生的なものであり、決して他者から強制されるべきものではない。

子ども一人ひとりが学習対象と向き合い、学びをスタートさせるべきなのである。

そして自力の学びを進めると、壁にぶつかるときがくる。

「果たして、これでいいのだろうか?」

「他の人は、どのように考えているのだろうか?」

「他の人の考えも聞いてみたい!」

と考えるようになる。

この状態になって初めて、「協働的な学び」を組織する。

「話し合いたい」「他者の考えを聞きたい」と思っていない状態で、いくら協働場面を設定しても、無意味なのである。

必要としていないのだから。

話し合う必要感を感じ始めてから「協働的な学び」をすることで、話す意欲、聞く意欲が増し、学びも広がったり、深まったりするのだ。

そして「協働的な学び」をすると、また疑問や考えが浮かび上がってくる。

こうなったら再度、「個別最適な学び」に戻る。

最初の自分の考え、他者から刺激を受けた考えを経て、さらに深化した考えをもち、学びを進める。

そして「協働的な学び」に、再びつながる。

「学び」とは本来、このサイクルが基本である。

この基本的な流れを、「令和の日本型教育」として、再度強調しているだけである。

何も新しい主張をしているわけではない。

大正時代に奈良で行われた、木下竹次の学習法である「独自学習」と「相互学習」の連関の重要性を訴えているのである。

日本では昔から、素晴らしい教育実践が行われていた。

なぜ広まらなかったのか不思議だが、政府がやっとその重要性を認識できたのかもしれない。

これまでの一斉指導から抜け出すためには、「個別最適な学び」と「協働的な学び」を左右にもつ強力な武器にしていかなければならない。

私自身もこれを意識して、実践を積み重ねていきたい。

では。

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