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#1407 教育界におけるChatGPTの光と影

前回の記事では、「認知主義」ではなく「構成主義」の考え方をもとに、「授業をコンピテンシーベースに改善していかなければならない」ことを述べた。

世の中で大切なことは、「正解」をいち早く見つける能力ではなく、問いをもとに協働しながら「納得解」を導き出していく能力である。

なので、「調べればわかるような事実的知識」ではなく、「転移可能な概念的知識」が重要となる。

そして、他者と協働することで、「納得解」を修正しながら、自分自身を成熟させていくことが必要となる。

つまり、「正解」や「事実的知識」は検索すれば済むが、「納得解」は人間が対話・議論しながら導き出していかなければならないのであった。

しかし、そこに「革命児」が現れる。

そう「生成型AI:ChatGPT」である。

これまで、「機械」にできることは、「正解」を情報として提供してくれるのみであった。

しかし「ChatGPT」は、質問をすれば、「正解」ばかりではなく、「納得解」までも(それっぽく)提供してくれる。

これが「革命」なのである。

これまで「人間」にしかできなかった「納得解の導出」を、機械ができるようになったのである。

これは、これまで重要視されてきた「他者との協働・対話・議論」が不要になることを意味する。

まさに、教育界における革命でもあるのだ。

しかし、ChatGPTには「負の側面」もある。

質問をすれば、それなりの「納得解」っぽいものを提供してくれる。

だがそれは、けっして「正解」ではない。

ときに誤った情報も含まれるし、「人間自らが納得した答え」ではないのである。

それを鵜呑みにし、そのまま「納得解」として問題解決に活用することは危険なのである。

やはり最後は、人間による思考・対話が必要なのである。

そのような思考・対話を通し、解を修正することで、改めて「納得解」となるのだ。

このことを忘れてはいけないのである。

しかしChatGPTは、人間が「納得解」をスピーディーに導くことを後押ししてくれるだろう。

問題解決がスムーズになっていくことが予想できる。

このような強力な武器を、「手段の1つ」として活用することが求められる。

最終的に「納得解」を導く主体は、機械ではなく人間だ。

ChatGPTには、そのお膳立てをしてもらえばいい。

これがChatGPTの良さである。

以上、「ChatGPTの光と影」について述べた。

生成型AIを手段として適切に活用し、教育に役立てていきたい。

では。

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