見出し画像

#1885 優劣・障害を生み出す構造

学校教育には、旧態依然として、画一的な一斉授業がまだまだ存在している。

身に付けるべき知識を、一人の教師から大勢の子どもたちに一律一斉に効率よく注入すべく開発されたのが「一斉授業」である。

しかし、情報化が進展した今の時代において、一斉授業を手放し、「個別最適な学び」を実現できるリソースは潤沢に整っている。

それにもかかわらず、学校現場では、相変わらず「画一的な一斉授業」がはびこっている。

このような構図が何十年も続いているのである。

一斉授業が「当たり前」「デフォルト」の学校では、教師が規定した「画一的なシステム」にフィットする子どもだけが「良い子」とされている。

そして、そのシステムから逸脱する子どもは「異端児」「問題児」のレッテルを貼られる。

画一的な一斉授業にフィットする子どもは当然のように、高いパフォーマンスを発揮することができる。

逆に、一斉授業に合わない子どもは、十分なパフォーマンスを発揮することができず、「できない子」として扱われる。

言い換えれば、教師が規定した「一斉授業の在り方」が原因となって、子どもの「できなさ」「困難さ」「障害」が生まれてしまうのである。

このように、教師が「画一的な授業システム」を規定すればするほど、子ども集団の中に「優劣」が生まれてしまうのである。

もしかしたら、今の学校教育において、「優秀」とされる子どもは、「たまたま一斉授業に合っていただけ」であるかもしれないのだ。

逆に、今の一斉授業において「できない子」扱いされている子どもも、別の学び方であれば、「優秀」になれる可能性があると言える。

すると、ここから導き出される結論は1つとなる。

「教師が画一的な学び方を、一方的に子どもに強要しない」ということだ。

教師が「画一的な学び方」を規定・強要すればするほど、子ども集団の中に「優劣」が生まれてしまうからである。

よって、必要なことは「子ども個々に合う学び方が確立されるようにサポートすること」なのである。

教師は「こんな学び方はどう?」「こんな学び方もあるよ」と助言すればよい。

けっして、1つの学び方を子どもに強制してはいけないのだ。

子どもは教師からの助言を参考に、「今の自分」に最も合う学び方を身に付ければよいのである。

これが「個別最適な学び」の理想の形であると考える。


以上のような問題は、「属人的問題」ではなく、「構造的問題」である。

つまり、「現場にいる何人かの教師の意識が変わればよい」というレベルではなく、「国・社会規模で学校教育のシステムごと変えなければならない」というレベルの話である。

悪しき「画一的な一斉授業」が何十年も続いているせいで、教師も親も子どももこの「構造的問題」に気づいていない。

だから、盲目的に一斉授業を信仰してしまう。

しかしその弊害が、そこかしこの学校現場で急速に明るみになりつつある。

学校教育のシステムは機能不全を起こしているのである。

これを「属人的問題」で切り捨てるべきはないのだ。

もっと根本的に、学校教育のシステムを構造ごと変革する必要があるのだ。

次の学習指導要領改訂に期待したいところである。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?