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hidarikikinobaby
#1760 教師が「不要」になるときが「別れ」である
4月、5月は子どもたちの「未熟さ」が目につく。
これは仕方のないことだ。
前の記事でも書いたとおり、それが「子ども」なのである。
最初から「できる」「指導の必要がない」「パーフェクトな」子どもなどいないのである。
だからこそ、「教師」が必要なのである。
その未熟さをアセスメントし、成長させていくのが「教師」の役目なのである。
そして、「適切な」指導を続けていけば、徐々に教師の力を借りなくても、自分たちだけで学んでいくことができるようになっていく。
これにより、教師が「不要」になっていく。
年度当初は教師が絶対的に「必要」だった子どもたちも、徐々に教師という存在が「不要」になっていく。
これは、「教師との別れ」が近づいてきたことを意味する。
いつまでもいつまでも「教師が必要な子どもたち」のままにしてはいけない。
それでは、本当の意味で「教師との別れ」がやってこない。
教師が不要にならない。
そうではなく、適切な指導を続け、教師の存在が不要になるようにしていく。
それにより、本当の意味で「教師と別れる」ことができるのである。
「もう大丈夫だ」「もう自分と別れてもいい」となるのだ。
いつしか「別れる」ことを念頭に置き、教師が「不要」になるよう指導を続けていく。
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