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#542 個を見取るのではなく、全体を見取る

教師はエスパーではない。

メンタリストでもない。

なので、子ども個人の特性や本心を理解することはできない。

時間をかけて「対話」をすれば、ある程度、理解することはできるだろう。

しかし、学級には30人近くの子どもがいる。

その子どもたち一人ひとりと対話する時間はない。

個を見取るのには、教師一人では限界があるのである。

ではどうすればいいのか?

個を見取るのではない。

全体を見取るのである。

集団の中に問題がないかどうかを、全体的な視点で見取るのである。

個人を、全体の中で捉えればいいのである。

他者との関係性における様子を観察することで、子ども理解を進めるのである。

全体の中から、問題を見つけるのである。

具体的に述べていく。

まず、全体に課題を与え、自由に活動をさせる。

そのとき、顔の上下運動に注目する。

子どもたち同士が資料を示したり、同じテキストを見たりする際、顔が必然的に、同時に、その資料なりテキストなりを向くはずである。

つまりそれぞれの顔が、同時に下を向くはずである。

それが活動に真剣に取り組んでいるサインである。

しかし、顔の上下運動がなく、お互いの顔をずっと見合っている場合がある。

これは、「関係のない話」で盛り上がっているサインである。

活動に真剣に取り組まず、遊んでいる証拠である。

このように荒れのサインを全体的な視点で見取る。

また、目をつぶっても知ることができる。

人間というのは、他人に迷惑をかけないように、周りに配慮しながら対話をするものである。

しかし、周りに配慮せず、堂々と大声で話し合っている集団があるとしたら、「関係のない話」で盛り上がっているサインである。

そのような集団は、周りへの配慮よりも、目の前の遊びに夢中なのである。

だから、目をつぶってでも知ることができるのだ。

このような姿は「子ども一人」単位では、見取ることができない。

子どもは他者との関係性の中において、その本性を見せる。

だから教師は、個を見取ることはできなくても、全体を見取ることはできるのである。

そして全体を見取ることで、適切な行動をしている子どもと不適切な行動をしている子どもを把握することができるのである。

やはり個を深く見取るには、1対1の対話をするしかないのである。

これからも、全体を見取る目を鍛えていきたい。

では。

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