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なぜ、「note」を始めたのか?

「余命十年」を見た。命の尊さをひしひしと感じた。主人公が自分の心情を日記に記したり、「いいな」と思った風景をビデオを残していたりしていたシーンが印象的で、自分も文章を書いて残していこうと思った。中高の趣味としてラノベをたくさん読んでいたので、文章を書く人に対するある程度の憧れはある。日々の感想を文豪チックに(自分に酔って)つづるのもいい思い出ではないだろうか。

この文章で伝えたいことは、その時に思ったことや感じたことを記録に残すことの重要性である。今からそれを自分なりに書いていこうと思う。(あまりにも自分が語りが長くなってしまったので、結論だけなら最後の鍵括弧付近を読むのがよいだろう)

私は小学生、中学生のころ、多く両親や先生ともめたことがある。今思えば痛い子だった部分もあると思う。
両親については、自分の気持ちを理解してくれないことへの寂しさ、自分がうまくできないことへの悔しさが衝突の原因であると思う。例えば、母の手伝いをしたくて料理を手伝おうとしたのに調味料や食材をこぼしたり、落としたりして邪魔だと言われたり、無理に運ぼうとして失敗して「役立たず」なんて言われたこともある。子供のころは成績が良くて、学年順位が一桁だったりしたものだから、(田舎の中学校であって井の中の蛙ではあるのだが)ある種気を使って、勉強に集中させてあげたかったのかもしれない。
先生については、理不尽に感じることや意味の分からないことについての衝突が大変多かった。修学旅行に携帯を持っていくな、と言われたのにもっていって反省文を書かされたこともある。なぜ、持って行ってはダメなのか。位置情報アプリ(僕らにとってはスマホは地図みたいなものだ)、カメラ、LINE。持って行った方が楽しくなるに決まっている。旅行先でもゲームをするとでも思っていたのだろうか。(確かに、一定数はそうするかもしれない)しかしまぁ、禁止されているのだから持っていくべきではないのであろう。

過去の話をつらつらとしてしまったが、伝えたいことは、私が両親や先生と衝突したときに思っていたのは、『自分の気持ちを理解してくれないな』ということである。
でも、それは当たり前で、子供と大人ではしていることや置かれている環境、感じている責任感などもそれぞれ大きく異なる。そうした違いから、考えていることは異なってくるものなのだろう。実際、現在20歳で大学生の私には、今の小学生や中学生が何を考えているのかよく分からない。塾講師として働いているが、講師と生徒という立場の違いでも大きな考え方、価値観の差異がある。

そこで、立場の違う人の気持ちを理解するのはどうしたらよいか。それは、『記録に残すこと』である。前述の講師と生徒の立場の違いにおいても、以前生徒の時があったのだから、記録に残しておけば気持ちを理解することは可能なのである。私は、これから成長して行く過程で思っていることを書き留めていき、あの時の、子供の気持ちを理解しない「大人」にならないようにしようと決意を固めた。
だから私は記録を始め、将来の自分へ、今の自分の考えをプレゼントしようと思う。 

2023年6月24日 自分探し中の若者より

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