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春の陽気とスプリングコート

家から出ると、そこには春の暖かい日差しが差していて、日差しに照らされるのを楽しむかのように、ワンピースの女の子と、白シャツの男の子が手を繋いで、ぷらぷらと歩いていた。


それを見た瞬間、僕は猛然と春の訪れを実感してしまった。


なんという春の訪れだろう。先日まで、ヒートテックが手放せず、家に帰って最初にやることといえば暖房のスイッチを入れることだったのに。


陽気が違うのだ。

あと、歩いている人の服装。服が明るくなる。春らしくなる。それは別にみんなの着ている服がとたんに明るくなったわけじゃなく、陽気がそうさせるのだ。光が春なのだ。


そう、全部陽気のせいだ。


今までは、休日の昼間に部屋にいてもなんとも思わなかったはずなのに、急にいても立ってもいられなくなってしまった。

だから、パソコンを開いてエッセイを書き始めても、家の中では全くはかどらない。
外に出かけたい衝動が強すぎる。家の窓から差しこむ陽気が出かけるようにと僕を誘う。
命令じゃない。そんな強気な日差しではない。もっとなんというか、出かけた方がきっと楽しいよと語りかけるような。そんな日差しが差しこむ部屋でパソコンをかちゃかちゃやっていられなくなった。

そして、家から出たら先ほどのカップルがいたわけだ。

歩みが遅い。

春になると、カップルの歩みは遅くなる。
ぷらぷらという言葉がもっとも似合う速度の歩み。ふらふらじゃなくてぷらぷら。

寒くもなく、暑くもない陽気がそうさせるのだ。もう少し、陽だまりの中に二人でいたい。そんな欲張りが許されるのが春なのだ。

そう、全て陽気のせいだ。


結局、僕は冬みたいな格好をして出てきてしまった。おかげでもうなんだったら暑い。ついこの間まで、首元が寒いからマフラーを買おうかどうか迷っていたはずなのに。

陽気のせいで、いつもと違うカフェに行きたくなってしまった。パソコンでエッセイを書く間も、外の春気分を逃したくない。そんな気分だ。

だから、いつもの外が見えない高架下のカフェじゃなくて、窓から外を行きかう人たちが見えるカフェを探すことにした。
すべて陽気のせいだ。


いい場所が見つかったので、お店に入る。ちょうど、2階の窓際の席が開いていたので、そこに座る。

ちょうど駅前の横断歩道が見える。スプリングコートを着た女性が2名、颯爽と横断歩道を渡っていく。


彼女たちは、いつ「春がきた」と実感したのだろう。気づくのが早すぎないか?もう、スプリングコートを着ているなんて。
春は今日きたのではなかったか?
それはもう、ユーミンくらい春を待ち望んでいないと無理な芸当であると思うのは僕だけだろうか?


それにしても、春の威力たるや。
スプリングコートって、春専用コートってことですよね?そんなのオータムやウインターに無いやんと思って、「オータムコート」と「ウインターコート」を検索してみたら、あった。

すべて陽気のせいだ。


ここまで書いて思った。

「お散歩したい。」

外の空気を吸って、陽だまりの中でふらふらしていたい。
(おじさんが春の陽気にあてられて、特にあてもなくお散歩する時はぷらぷらじゃなくてふらふらになる。)


この間まで、カフェに何時間もいながら文章を書いたり、本を読んだりできたはずなのに。


日が傾くまでに、外に出たい。


また颯爽とスプリングコートの女性が横断歩道を渡っていく。その横で、カップルが手をつなぎながらぷらぷらしている。

ちょうどいい具合に、横断歩道に陽光が差しこんでいる。

手元にあるカップには、まだ半分ほどホットコーヒーが残っている。アイスコーヒーにすべきだったか。

このエッセイはここで終わり。

すべて、春の、陽気のせいだ。




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