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ヘアスタイルとネイルこそアンミカが考え出した人類の叡智なのかもしれないという話

アンミカみたいな人がいたから、僕たちは髪を切ることや爪をアレンジすることを楽しめている。


最近「足の爪って伸びなくてよくない?」みたいなコメントをSNSか何かで読んだ気がする。
気がするだけなので、自分がそう思ったことを勝手にSNSのせいにしているだけかもしれないが。

それはともかく、僕はこの意見を読んだときにものすごい共感を覚えつつも、違和感を感じてしまった。それが冒頭に書いた「足の爪、髪の毛、アンミカ問題」である。

足の爪を切るのは確かにとんでもなく面倒だ。特にお腹の脂肪がつっかかり、長座体前屈で潜在能力の5パーセントも発揮できない僕からすると非常に面倒だ。だからやはり足の爪は伸びなくていい気もする。


ただ、そんなことを考えつつも、僕の脳裏には別の考えが思い浮かんだのだ。

それが「ヘアアレンジとかネイルって、面倒くさいことをポジティブにとらえ過ぎてない?」というものである。

髪は伸びる。爪も伸びる。それは仕方ない。じゃあもうそれを面倒くさがるだけの日々はやめて、髪型をいろいろと工夫して外見を良く保とうとか、ネイルを施して可愛く見せようという姿勢こそ、人間の究極のポジティブなんじゃないだろうか。という思考に思い至ったわけだ。


人類がこの世に誕生したばかりの頃は、きっと多くの人が「なんで髪伸びるんだよー。長くなるとうっとうしいんだよな。」と思っていたはずだ。
爪も同様で「うーん、爪が伸びてくるから、それを木で削ったりする作業が必要になるわけで、これさえなければもう少し狩りとか焚き火とかに時間をさけるんだけどなー」みたいな考えしかなかったはずである。(爪切りがなかった時代、人類は木で爪削ってたみたいな解釈であってる?)

しかし、人類が発展するどこかの段階で、アンミカみたいなスーパーポジティブが現れて、こう考えた。

「せっかく髪が伸びてくるなら、それを利用して格好良くとか可愛くなればええんちゃう?」(関西弁だったかどうかはしらないが、アンミカは関西弁なので、関西弁でお送りしている)

本来は、「うっとうしい」「なければいい」と思われていた髪の毛。
それがいまとなっては、「毛先を遊ばせる」人までいる始末だ。

うっとうしいものだったはずの毛先で「遊びだした」のだ。
いや、遊びだしたのではない。遊ばせているのだ。
めんどくさいに勝って、とうとうマウントまで取りだした雰囲気がその語感から強くにじみ出ている。

これをスーパーポジティブと呼ばずして、なんと呼ぶのだろう。
「アンミカ的思考」とも呼べなくははないが、それは結局同じ意味である。

そしてまた、別のアンミカが現れて「もういっそ、髪に色とかつけてまおか?」「毛先といわず、髪全体をくるくるにしてまおか?」
みたいな流れになり、ヘアカラーとパーマが誕生する。
そして、とうとう我々は「ヘアサロンで過ごす時間。リラックスできて大好き」みたいなことをSNSに書き出す人がいる時代を生きることになった。


爪も同様だ。爪界のアンミカにより「ネイル」が生まれ、「ぺテキュア」が生まれた。今や私たちは、爪にお金をかけ、爪に時間をかける。
そして「あれ、ネイル変えた?前のも好きだけど今回のもいいねー」と言わなければいけない時代に生きている。(それは少しわずらわしい)


あれだけめんどくさかったことが、うっとうしかったことが、今や喜びに変わった。これを人類の叡智と呼ばずして、なんと呼ぶのだろう。「アンミカ」と呼べなくもないが、それは結局同じ意味である。


そう考えてみると、僕たちはめんどうなことでも楽しくできる術を持っているということになる。
なんて素晴らしいんだ人類!最高じゃないか人類!ヤッホーアンミカ。

足の爪を切ることに対して思いをはせているうちに、いつの間にか人類最高みたいな話になったが、それもまた人間のなせる技だ。
いや、これは僕の思考が生み出した人間のバグみたいなもんかもしれない。

それにしても、ここまで書いて思ったけどアンミカって本当すごいね。それが爪を切るのめんどくさい問題の最終結論である。




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