イースター島のモアイから、「肩書きの無意味さ」を教わった話
絶海の孤島に行った。
イースター島のことだ。モアイといえばのイースター島。イースター島といえばのモアイである。
よくよく考えると、モアイがなぜあそこまでの人気と知名度を誇っているのかは謎だ。でも、モアイはなんかいい。
そんなイースター島では、意外にどこにもかしこにもモアイがいるわけではない。いくつかのモアイが見れるスポットがあって、そこまで、レンタカーや自転車、強者は徒歩で行ってモアイを見ることが必要になってくる。
僕がイースター島に行って一番驚いたことは、この事実だ。イースター島に行けば、どこにでもモアイがいると思っていた。小さな島にモアイが乱立し、モアイでお腹いっぱいになるくらいモアイを見ることになると思っていたら、そうではなかった。
知らない土地や知らない人への僕たちの認識なんてこんなもんかもしれないなとつくづく思う。
その人を形容する何か、例えば肩書きとか仕事とか、趣味とかだけでその人を判断すると、実はな部分がたくさんあって、その人のことを正しく認識できなくなってしまうのかもしれない。
あの人は、社長さんだからきっとお金が大好きなんだろうと思っていたら、実は仕事なんてとっとと辞めて、畑仕事でもしながらのんびりと田舎で暮らしたいと思っていたり。(でも、従業員もたくさんいるし、簡単には辞められないとか)
あの人は先生だからきっと真面目な人なんだろうと思っていたら、実は陽気でテキトーな人だったりするかもしれない。
あの人は旅が好きだからきっと明るくて外向的な人なんだろうと思っていたら、実はインドア派の穏やかな人だったこともある。
良い意味でも悪い意味でも「その人を形容する何か」だけで人を判断してはいけないのだなとつくづく思う。
イースター島では、毎日のようにモアイを見に行った。朝のモアイ、昼のモアイ、星空とモアイ。かつてモアイが作られていた場所(ラノララクという)に行ったりもした。
全く飽きなかった。お腹いっぱいにならなかった。むしろもっとモアイが好きになった。
それは多分、モアイのいろんな面を知ろうとして、何度も会いに行ったからなんだと思う。
「形容する何か」ではなくて、その人に何度も会いに行くことで、その人のいろんな面を知って、好きになったり嫌いになったりしたい。一回で、その人の全てを知った気になりたくない。
ちなみにイースター島には、モアイが15体並ぶ「アフ・トンガリキ」という場所がある。
一緒にイースター島を旅した人が、その15体を1体ずつ写真に撮って、どのモアイか当てるゲームを考案し、僕たちはイースター島を離れた後もグループLINEに日々1体ずつ送られてくる写真を見ては、「左から2番目」だとかいって大いに盛り上がった。
全然当たらなかった。
まだまだモアイのことをちゃんと知れていないようだ。
もう一回、会いにいきたい。
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