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【旅の失敗談】イースター島で、うんこを踏んでしまった話

絶海の孤島、イースター島。モアイに象徴されるその島は、多くの旅人の憧れの地。アーティストにとっての日本武道館。筋トレ愛好家にとっての、シュワルツネッガー。警察にとっての柳葉敏郎である。

世界の島が大好物な僕にとっても、ここは本当に憧れの地だった。モアイを生で見るなんて、そんなに興奮することはなかなかない。


絶海の孤島でやることと言えば、単純明快。モアイを観に行くことだ。イースター島には、モアイ以外にも観光スポットがあるけれど、やはりメインはモアイである。

日の出のモアイ、昼間のモアイ、夕日モアイ、星空モアイなど。それぞれの時間帯に適したモアイスポットに出かけていき、いろんな時間帯に夕日や海や星空とコントラストをなすモアイを見て、写真におさめる。 僕も例にもれず、いろんな時間帯のモアイを観にいった。モアイ大好き、モアイ変態である。

でも、まさか憧れの地イースター島で、自分のう◯こを踏むなんて。これは僕の懺悔と告白の物語だ。


汚い表現が散見しているので、どうかお食事どきだけお避けくださいませ。


それは星空のモアイを観にいった時に起きた。場所は、「アフトンガリキ」と呼ばれるところ。モアイが15体並ぶ、一大モアイスポットである。

モアイを見れる各スポットは、入場時間が決まっていて夜はゲートの中には入れない。ただ、中に入れずとも遠目のモアイは見ることができる。もちろん、周囲には電灯なんて一切ない。空には、満点の星。最高のシャッターチャンスというわけだ。


僕と妻は、イースター島で出会い、一緒にキャンプをしていた日本人の旅人たちと「星空のモアイ」を観にいった。駐車場に着き、車から降りる。天気が少し悪く、空には雲がかかっている。とりあえず僕たちは雲が流れて満点の星空が見れるまで待つことにした。

しかし、事態は予断を許さない状況だった。お腹に違和感を感じる。周囲は、星空を信じて待ち続ける。僕は、肛門を信じて待ち続ける。実はこの時点で、モアイと星空など、はっきりいってどうでもよかった。周りのみんな合わせて、「まだかなー」と言いつつも、実際は「まだかなー(トイレ)」という三文字を隠しつつ待った。

僕がどれだけ切に願っても、なかなか雲はどいてくれない。満点の星空はなかなか姿を表さない。かつて、イースター島にいた原住民が、島の安全と繁栄をモアイに願ったという。この時ばかりは、僕もだいぶ願っていた。モアイ側もあまり例をみない願いであったとは思う。

そろそろ限界である。車の中や外で、ゆっくりと星空を待つロマンチストたちの横で、僕は一人静かに限界を迎えようとしていた。そして、僕は覚悟を決めた。野◯そだ。駐車場の奥には茂みが広がっている。草むらの奥までいけば、う◯こもやがて肥料と化すだろう。


ただ、今になって考えると覚悟が甘かったのかもしれない。僕はここで一つ嘘をついた。

「トイレしたいから、立ちションしてくる」

他の仲間にそう言い残し、ばれないように、そっとトイレットペーパーを手にとり、わざわざTシャツの中に隠して、立ちション(野◯そ)に向かった。ちなみに、イースター島で一緒にキャンプしたメンバーは僕以外全員女性。野◯そは言いづらい。


僕は駐車場の奥の茂みに分入っていった。人が見えなくなるくらい奥に。ちなみに、僕のお腹はほぼ活動限界にきていた。僕の中の碇シンジが「出しちゃダメだ。出しちゃダメだ。」と必死に叫んでいる。覚醒する?かとも思ったけど、覚醒すると、逆にここで雄叫びをあげて大放出という自体にもなりかねないので、とりあえずそれは理性でしのいでおいた。


ようやく安全ポイントについた。ここを細かく情景描写するのは、読者離れを過度に引き起こすおそれがあるので、全てが終わったところまで一気にワープしたい。

ちなみに誤解のないように言っておくと。トイレットペーパーはちゃんと二重にしたゴミ袋に魔封波を使って封じ込め、決して匂いがもれないようにした状態で、ゴミ箱にポイした。正直いって、その場にポイ捨ても考えなくなかったが、それは僕のイースター島への愛が止めた。というか、モアイに見られている気がしてできなかった。


思い出して欲しい。ここはイースター島である。周囲は真っ暗だ。電灯なんてない。茂みをかきわけて奥まで進んだ僕。だんだんと怖くなった僕は、焦ってトイレ後の自分の向いている方向がわからなくなった。どちらに戻れば、みんなに会えるのか。しばらく茂みをさまよった。おそらく最初に間違えた方向に踏み出してしまっていたのだろう。後ろの方、遠くから声が聞こえ、僕がそちらを振り返ろうとした瞬間。


踏んだ。

あきらかに踏んだ。そして詰んだ。あきらかに詰んだ。韻を踏んでいる場合ではない。う◯こを踏んだのである。それも自分の。

いや、うまいこといっている場合でもない。足元はビーサンだ。つまり、自分のう◯こを素足で踏んだことになる。何かの罰だろうか?いろいろ思い当たることはないでもない。仲良くなった旅人が、インドで牛のうんこをビーサンで踏んだという話を聞いて、大爆笑した報いだろう。目には目を方式とはこのことだ。

暗闇の中手探りで足元のう◯こをトイレットペーパーで拭き取る。虚無感とはこういうことをいうのかと実感した。まさかイースター島で虚無感を感じることになるなんて。


周りが暗すぎて、綺麗になったかどうかわからない。でも、ここでう◯こを足につけて戻るわけにはいかない。なんせ僕はこの時、立ちションをしに行くといってここまでやってきたのだ。立ちションをしにいったやつが足にう◯こをつけて戻ってきたらみんなどんな気持ちになるであろう。風邪で会社を一週間休んだはずのやつが、ゴリゴリに日焼けして出社するくらいの違和感である。いや、それ以上か。

ある程度はトイレットペーパーで綺麗にしたものの、完璧に綺麗にはならない。でも、このまま何事もなかったかのように、みんなと合流して、帰るにしても、車の中には匂いが充満する。

下手すると「なんか臭い→こいつ立ちションしながら漏らしやがったな!!」となる危険性もある。


そして、僕はさらなる嘘をついた。


「もー!!立ちションしに行ったら犬のう◯こ踏んでもうた!ビーサンで!!」

全力で言い放った。犬のせいにした。自分がうんこをしたことも隠して。二重の嘘をついたのである。モアイの視線がいたい。モアイだけは真実を知っている。そして、僕はペットボトルの水で足を洗い、誰かがもっていたアルコールシートで足を綺麗に拭いて帰路についた。


これが、僕のイースター島での懺悔の物語。イースター島を旅した仲間とは、日本に帰ってからも定期的に連絡をとりあっている。その度に、僕が犬のう◯こを踏んだ話は鉄板ネタとしてもちあがる。何度でも告白するチャンスはあった。でも、僕はその度に、犬のう◯こを踏んだことにして笑いをとり、懺悔できずにいた。今日、その全てをこのnoteにそっと書き記しておこうと思う。


絶海の孤島。また行きたいな。これが僕のイースター島での失敗談。さて、僕は何回う◯こって言ったでしょう?なんかごめんなさい。



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