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ミニマリストに通ずる偉人の話。

#ミニマリストに通ずる偉人の話

現代において「ミニマリズム」という概念は広がりを見せていますが日本特有のミニマリストの根本にある考え方は古くから存在しています。

日本の歴史には、ミニマリスト的な生き方を実践した偉人たちが多くいます。
今回は、その中から空海、千利休、鴨長明という三人の偉人を取り上げ、彼らの生き方や思想がどのようにミニマリズムに通じているのかを見ていきたいと思います。

1. 空海


空海(774-835)は平安時代の僧侶、詩人、書家であり、真言宗の開祖として知られています。彼の生き方や思想は、現代のミニマリズムと深く通じるものがあります。

まず、空海は「不二」という思想を提唱しました。これは、全てのものが一体であるという考え方であり、個々の物質的なものに囚われず、精神的な統一を目指すというものです。
彼の生き方は、物質的な欲望を捨て、精神的な充実を追求するものでした。
例えば、空海は自分の身分を捨て、多くの時間を山中での修行に費やし、自然と一体となることを重視しました。このような生活は、物質に依存せず、シンプルな生活を送るミニマリズムの理念と共通しています。

また、空海はその知識や技術を広く伝えることに尽力しました。彼の著作や教えは、後世に多大な影響を与え、多くの人々にとっての指針となりました。現代においても、彼の思想はシンプルで深い精神的な豊かさを追求するためのヒントとなります。

2. 千利休


千利休(1522-1591)は、安土桃山時代の茶人であり、日本の茶道を大成させた人物です。彼の茶の湯の精神は、まさにミニマリズムの極致と言えるでしょう。

利休の茶の湯は、「わび・さび」の美学に基づいています。「わび」とは、不完全で簡素な美しさを追求することであり、「さび」とは、時間の経過とともに生じる自然な劣化を美とする考え方です。これらは、物質的な豊かさよりも精神的な充実を重視するミニマリズムの理念と一致します。利休は、茶道具や茶室を極限までシンプルにすることで、茶会に参加する人々が心の平静を得ることを目指しました。

また、利休の教えには「一期一会」という言葉があります。これは、出会いの一瞬を大切にし、その瞬間に全てを注ぐという意味です。現代のミニマリズムにおいても、一つ一つのモノやコトを大切にするという考え方が重要視されています。利休の教えは、物質的なものに囚われず、今この瞬間を最大限に楽しむという点で、現代のミニマリストにとっても非常に参考になるものです。

3. 鴨長明


鴨長明(1155-1216)は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて活躍した歌人・随筆家であり、『方丈記』の著者として知られています。彼の生き方や思想も、現代のミニマリズムと深く関連しています。

【ゆくかわの流れは絶えずしてしかももとの水にあらず 】
(変わらないように見える川の景色も、
その流れは絶えることなく、
一度として同じ水が止まることはない)

『方丈記』は、仏教的な隠遁生活を送りながら記した随筆であり、鴨長明が下鴨神社の跡取りとして生まれ、後継者争いに敗れ、自然災害や社会の混乱から逃れるために山中に小さな庵(モバイルハウス)を建て、そこでシンプルな生活を送る様子が描かれています。長明は「方丈庵」というわずか一丈四方の小さな住まいで生活し、必要最低限のものだけを持って暮らしました。これは、まさにミニマリズムの実践例と言えるでしょう。

私は彼をミニマリストパイセンと呼び、
京都の河合神社⛩️にある方丈庵をよく見に行きます。(※現在は少し離れた場所に移動されています。)

長明は、物質的な豊かさに対する執着を捨て、精神的な充実を求める生活を送りました。彼の著作には、物質的なものから離れることで得られる心の平静や、自然との一体感についての記述が多く見られます。現代のミニマリストにとっても、彼の思想や生き方は多くの示唆を与えてくれるものです。

最後に、、、


空海、千利休、鴨長明という三人の偉人は、それぞれ異なる時代や背景を持ちながらも、共通してシンプルで充実した生活を追求してきました。

彼らの生き方や思想は、現代のミニマリズムと深く通じるものであり、私たちがシンプルで豊かな生活を送るためのヒントを多く与えてくれます。物質的な豊かさに囚われず、精神的な充実を求めることが、真の幸福に繋がるのかもしれません。

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