居なくなることを喜ばれる人

「あの人が死んだら嬉しいな」と思うことがよくあるけど、僕に想像力が無く相手を人として見てない訳じゃなくて、当人や周辺人物の思いまでつぶさに想定して、「ああ、この人は生きてるより死んだほうがずっと当人も救われるし、周囲の人も解放されて嬉しくその死を尊ばずにいられない」と感じたりしている


それは自分が、親族の中に生きてて欲しい人が殆ど居なかったことや、実際にそういった親族が死んだ時に本当に解放されて嬉しくて泣いたくらいだったからというのもあるし、あんな親族達の血を引いてる僕のような人は生きてるだけで汚らわしいし早く死んで穢を無に帰して浄化されたい、というような思いが根底にあるからでもあると思う


自分にとって望ましい結果を他の人にも適用すべきなのなら、全人類を絶滅させなければならないだろうけど、他者は僕のように「生きてること自体が耐え難い苦痛で一刻も早く死にたい」と思いながらなんとかやりすごして生きてる訳じゃなく、生きてるほうが良いと思えてるらしいので、自分の思いや考えは他者には適用しない事にしてる


そういう折り合いの付け方でなんとか生存できる余地に留まってる

(生存できる余地というのは、社会的に「処刑・投獄による監禁」などをされずに主体的に自由に存在できている状況に身を置けている、という意味です)

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