映画は誰のもの

「映画は誰のもの?」という話、判例でも「監督のもの」となってる。けど映画の世界に少し関わった僕の価値観でいうと、監督なんて所詮は現場監督にすぎず、実際その計画を企んでる首謀者はプロデューサーだし、脚本家は建築物においての設計者と同義だし、監督なんて価値のある立場じゃない。


映画は監督のもの、と「今の所は」思われてる社会状況だけど、監督なんてプロデューサーや企画者のアイデアの土台の上で些末な装飾をしてる人に過ぎなくて、俺様は監督だぞとふんぞり返ってる馬鹿みたいな連中が映画界にはゴロゴロいるので、僕は不快だし、僕が法律だったらそういう連中は死刑にする。


自分でプロデュースや脚本まで書いてやってる人だけが映画作家だと僕は思うよ。


僕はプロデューサー主義なので。


プロデューサーを基軸にした映画界の俯瞰図が描けたら、今までの監督や映画の評価の基本的な共通認識が、根底から覆されるはずだと思って楽しみにしてる。僕が死んだそのずっと先にそれが実現するとしたらいいなと思う。でもまあ、その前に映画というもの自体が廃れるかもね。


映画学校に行った時に痛感したよ、講師として教えてる現役の映画を作ってる人たちが、どこまで低レベルなのか、まざまざと見せつけられて、これじゃ日本映画の質が高くなるわけないな、って。


自分で作れる人は他人がとやかく言うことに耳を貸さず自分を信じて作ればいいと思うよ。その価値を絶対に流布したいのなら自分自信を一番信じてとやかく言ってくる人のことは見捨てて良い。それでも続ければ自分の価値観に共鳴する人たちばかりがついてくるからどんどん生き易くなるもの。


そんな感じです


2020年8月1日午後10時39分 三日月てりり

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