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巡り、往く、ものたち

巡(めぐ)り、往(ゆ)く、ものたち               
 
 そこは何もない真っ白な空間でした。
 いいえ。何もないというのは、少し間違いです。そこには、たくさんの人と、たくさんの木材のほか、何もない真っ白な空間でした。
 あるとき、旅人が来て、彼らに尋ねました。
「やあ、君たち。君たちはいったい何をしているんだい?」
 真っ白な空間に住んでいる彼らは言いました。
「見て分からないのかい?」
「扉を作っているのさね」
「扉?」
 旅人は聞き返しました。
「そうさ」
「そうだよ」
 扉を作っている彼らは、誰もが当然のように頷きました。
 旅人は、目の前に広がる大きな板を見上げました。
 そうです。その扉は、とてもではありませんが言葉では言い表せないくらいに大きかったのです。とはいえ、その扉は作りかけで、まだ、ドアノブすらもできていないほどでしたが。
「これは、あとどのくらいで完成するんだ?」
 旅人は、扉の設計図を持っているご老人に尋ねました。ご老人は、真っ白くて長いあごひげを何度もしごきながら言いました。
「そうですじゃねぇ。ちょうど、あと三年もすればドアノブが付けられますじゃよ」
 ご老人は、そう言ってさも愉快そうにふぉっふぉっふぉ、と笑いました。
「わしの爺さんの代では、この半分しか作れなんだ。父の代でも、まだ小さかった。わしの代でノブが付けられるとは、まっこと嬉しいことじゃわい」
「このドアは、いつになったら完成するんでしょうかね?」
 旅人は、笑っているご老人に尋ねました。ご老人は、またあごひげを重々しくしごきながら何度も頷いた。
「そうですじゃなあ。わしの、曾孫の、そのまた曾孫くらいですじゃかのう…」
 ご老人は、そう言ってさも頼もしそうにドアが完成したらその位まで大きくなるだろうと思われる高いところを見上げました。
 見上げたときに、長い長いあごひげの間から、立派な銀の懐中時計が見えました。
「きっと、わしの孫も、わしの後を継いで立派にこのドアを作り続けるじゃろうて…。人生楽しみが尽きんわい」
 旅人は、ご老人に挨拶をすると、そのままそこから立ち去ってしまいました。
 




 その空間に、ようやくその大きな大きな扉が完成した頃、たくさんの扉を作っている人と、大きな大きな扉しかない白い空間に、旅人が訪れました。
 旅人は、大きな大きな扉を見上げると、そこにいるひとびとにさも不思議そうに尋ねました。
「すみません。この扉は、どうやって開けるのですか?」
 そうです。この扉は、押してもびくともしないくらいに大きくて、ドアノブに手が届きそうにないほどに大きかったのです。とても大きな扉は、人が飛び跳ねても、肩車をしても、まだまだ手が届くとも思えませんでした。
「ああ、それですか」
 扉の設計図を燃やしていた、若い青年が頷きました。
「きっと、ボクの孫くらいまで頑張れば、この扉は開きますよ」
 そう言って、青年はポケットから立派な古い銀の懐中時計を取り出しました。
「おや、もうこんな時間」
 青年は、旅人にすまなさそうに別れの挨拶をすると、人々が荷車で運んできた長い長いロープの元へと駆けて行きました。
 旅人は、しばらくそこに留まって、勇敢な青年が扉をよじ登り、ドアノブにロープをかけて、人々の歓声が轟くまでをじっと見ていましたが、それから人々が力を合わせてロープを引っ張り…、扉が開かないのを見てから去っていきました。
 




 それからまた、たくさんの人々と、大きな大きな扉しかない真っ白な空間では、長い長い時が流れました。
 人々は、その間、ずっと交代しながらドアノブに繋いだロープを引っ張り続けていました。
 その間、旅人が来ることはありませんでした。
 古すぎて黒くなった銀の懐中時計を持っている女の子が、あっと叫んで嬉しそうに飛び跳ねました。
「頑張って! 扉が開くわ!」
 小さな少女の声に、人々は歓声と励ましの声をあげました。
 おーえす、おーえす、おーえす…。
 がんばれー、がんばれー、がんばれー…。
 そして、真っ白い空間に、心が暖かになるような柔らかな光が差し込み始めました。
 見ていた人々は、みんな嬉しそうに笑いました。
 大きな大きな扉は、そのまま閉じることなく開いていました。
 たくさんの荷物をリュックに背負った少女は、手にしていた銀の懐中時計を首にかけると、周りにいた人々に声をかけました。
「さあ、いきましょう!」
 人々は、口々に賛同の声をあげて、まとめたばかりの荷物を持って、女の子の後についていきました。
 少女の首にかかった時計は、小さな彼女にはおよそ不釣り合いなくらいに大きくゆらゆらと揺れていました。
 たくさんの人々が、順番に扉をくぐっていきました。
 誰もが、晴れやかな、そして楽しそうな、わくわくした顔をしていました。
 そして、白い空間にいたたくさんの人々が、一人残らず出ていってしまったあと、扉は、ギィ…と音を立てて一人でに閉じてしまいました。
 




 扉が閉じた後の真っ白い空間に、旅人夫婦がやってきました。彼らは、大きな大きな扉を見つけると、驚いて、それから楽しそうに残されたロープを引っ張り扉を開けようとしましたが、扉はびくともしませんでした。
 旅人夫婦は、諦めて帰っていってしまいました。
 それから、この真っ白い空間には、大きな大きな扉と、どこまでもどこまでも真っ白な空間しか、ありませんでした。
 
 
 
 
あとがき

こんにちは、創作系寺嫁のゆかでございます。
創作系と名乗っているのに、自分の創作物を出してないねとともみさんに言われたので、小説をほそぼそ投稿していこうと思い立ちました。

かれこれ、20年は小説を書いています。
これは、10年くらい前に書いた短編です。
楽しんでいただけたら幸いです。

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