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「すごい」という言葉


みなさま、こんにちは。創作系寺嫁のゆかでございます。

さて、本日の話題は、「すごい」という言葉についてです。

現代日本語では、主に誉め言葉として頻出する言葉ですが、実は「すごい」という言葉は、もともと「程度がはなはだしく悪い」ことにつける形容詞なんです。

つまり、「すごい」という言葉は、いまでこそ誉め言葉として使われますが、元の意味としてはいい意味ではなかったんですね。

まあ、頻出すぎてだれも気にしていないので、私もつい「すごいですね~」と誉め言葉として使ってしまうんですが(笑)

しかしながら、先日、この「すごいですね」について、議論になりました。

およその夫婦の中で議論をすると、喧嘩だと思われるかもしれませんが、我が家に限っては、議論と言えば単なる議論です。

議題「すごい」と言われることについて として夫婦の会話が繰り広げられるだけですので、そこはご安心くださいませ。

さて、何が議論になったかと申しますと、

誉め言葉として「すごい」と言われるのは嬉しいが、誉め言葉を隠れ蓑として、なんだか奇妙に貶されているような気分になる「すごいですね~」が隠れているときがある、という話です。

みなさんは、そういう経験ってありませんか?

こうこう、こういうことをしています、と趣味や生活などを申し上げた時に、
「すごいですね~、私にはできな~い」と言われるようなあれでございます。

平たく言いますと、「なんか、すごいって言われても、馬鹿にされたような、なんか嫌な気持ちになる時がある」
というところから

なぜ、誉め言葉ではないニュアンスで、「すごいですね~」と言われると、嫌な気分になるのか、

という議題に移ったわけでございます。

私自身、「なんか距離を感じるな」くらいには言語化できていたのですが、何が嫌なのか、うまく説明できなかったんです。

そこで、うんにゃらかんにゃらともみさんと議論をしましたところ、出てきたキーワードがありました。

「分からない」です。

なんでそういうことができるのか分からない、という気持ちから、そういうことを言ってしまうのではないか、という結論になりました。

そもそも、人間は、「分からない」ことをひどく嫌うという性質があるそうです。(どこかの本で読みました)

分からない=自分に不足がある と感じてしまって、引け目に思ったり、罪悪感を抱いたりする、というわけです。

この、「罪悪感を覚える」ということは、人間にとって案外原始的な感情のようなのです。

一歳のむちゅめがいますが、彼女が私を踏みつけにして「いたい!」と叱られたり、気に入らないことを言われて「フーッ!」と怒ったりするのですが、それらは全て「叱られた」ことにたいする罪悪感がある時です。

そう、なんと人間には「叱られる」と「罪悪感を覚える」という機能があるらしいんですね。

そしてさらに、マイナス感情が出てくると、「怒る」そうです。

「怒る」というのは、なにも声を荒げて怒鳴るだけではありません。ちょっとイラっとして、相手の言葉などを拒絶する、という反応も立派な「怒る」です。

ですから、
自分の理解の範疇にない=分からない
    ↓
罪悪感などのマイナス感情が発現
    ↓
その表現として「怒る」ため、誉め言葉に拒絶を隠した態度が現れる

といった具合なのでしょう。
そして、よく分からないながらも「拒絶」を受け取る相手側が、
なんか嫌だな、距離を感じるな……などと思うわけです。

いやあ、すっきり。構造がはっきりしました。
夫婦で会話をするのは大事ですが、分からないことを相談して議題にするのも大事ですね。

すっきりさっぱりした気分で、洗濯を始めることができた朝なのでした。

え? 
そんなことを夫婦で話すのが珍しい?

そうですかぁ……。

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