![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/108721612/rectangle_large_type_2_d9a525129c7baf156ba42bd3859a852e.jpeg?width=1200)
「すごい」という言葉
![](https://assets.st-note.com/img/1687239993165-GTfS20OLWT.jpg?width=1200)
みなさま、こんにちは。創作系寺嫁のゆかでございます。
さて、本日の話題は、「すごい」という言葉についてです。
現代日本語では、主に誉め言葉として頻出する言葉ですが、実は「すごい」という言葉は、もともと「程度がはなはだしく悪い」ことにつける形容詞なんです。
つまり、「すごい」という言葉は、いまでこそ誉め言葉として使われますが、元の意味としてはいい意味ではなかったんですね。
まあ、頻出すぎてだれも気にしていないので、私もつい「すごいですね~」と誉め言葉として使ってしまうんですが(笑)
しかしながら、先日、この「すごいですね」について、議論になりました。
およその夫婦の中で議論をすると、喧嘩だと思われるかもしれませんが、我が家に限っては、議論と言えば単なる議論です。
議題「すごい」と言われることについて として夫婦の会話が繰り広げられるだけですので、そこはご安心くださいませ。
さて、何が議論になったかと申しますと、
誉め言葉として「すごい」と言われるのは嬉しいが、誉め言葉を隠れ蓑として、なんだか奇妙に貶されているような気分になる「すごいですね~」が隠れているときがある、という話です。
みなさんは、そういう経験ってありませんか?
こうこう、こういうことをしています、と趣味や生活などを申し上げた時に、
「すごいですね~、私にはできな~い」と言われるようなあれでございます。
平たく言いますと、「なんか、すごいって言われても、馬鹿にされたような、なんか嫌な気持ちになる時がある」
というところから
なぜ、誉め言葉ではないニュアンスで、「すごいですね~」と言われると、嫌な気分になるのか、
という議題に移ったわけでございます。
私自身、「なんか距離を感じるな」くらいには言語化できていたのですが、何が嫌なのか、うまく説明できなかったんです。
そこで、うんにゃらかんにゃらともみさんと議論をしましたところ、出てきたキーワードがありました。
「分からない」です。
なんでそういうことができるのか分からない、という気持ちから、そういうことを言ってしまうのではないか、という結論になりました。
そもそも、人間は、「分からない」ことをひどく嫌うという性質があるそうです。(どこかの本で読みました)
分からない=自分に不足がある と感じてしまって、引け目に思ったり、罪悪感を抱いたりする、というわけです。
この、「罪悪感を覚える」ということは、人間にとって案外原始的な感情のようなのです。
一歳のむちゅめがいますが、彼女が私を踏みつけにして「いたい!」と叱られたり、気に入らないことを言われて「フーッ!」と怒ったりするのですが、それらは全て「叱られた」ことにたいする罪悪感がある時です。
そう、なんと人間には「叱られる」と「罪悪感を覚える」という機能があるらしいんですね。
そしてさらに、マイナス感情が出てくると、「怒る」そうです。
「怒る」というのは、なにも声を荒げて怒鳴るだけではありません。ちょっとイラっとして、相手の言葉などを拒絶する、という反応も立派な「怒る」です。
ですから、
自分の理解の範疇にない=分からない
↓
罪悪感などのマイナス感情が発現
↓
その表現として「怒る」ため、誉め言葉に拒絶を隠した態度が現れる
といった具合なのでしょう。
そして、よく分からないながらも「拒絶」を受け取る相手側が、
なんか嫌だな、距離を感じるな……などと思うわけです。
いやあ、すっきり。構造がはっきりしました。
夫婦で会話をするのは大事ですが、分からないことを相談して議題にするのも大事ですね。
すっきりさっぱりした気分で、洗濯を始めることができた朝なのでした。
え?
そんなことを夫婦で話すのが珍しい?
そうですかぁ……。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?