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終戦記念日でしたね。


みなさま、こんにちは。
創作系寺嫁のゆかでございます。

本日、8月15日は、終戦記念日ですね。

お盆の最中、玉音放送が流れたのだと思うと、

当時の政府に、お盆であるという認識すらなかったのか、

時期を考慮する余裕もなく、最速で用意したのか、

当時はそれほどお盆という行事に重きを置いていなかったのか、

どれだったのだろうな、と思うわたくしです。

欣浄寺では、毎年終戦記念日である8月15日の正午に合わせて鐘をつきます。
昔は、長崎と広島の原子爆弾が落とされた日にもついていたそうですが、今では15日だけです。

今日も、台風で風が吹き荒れる中、ともみさんが鐘をつきました。

うちの鐘楼堂は、鐘をつく場所までが急な石の階段で、さすがに怖かったそうです。

この鐘楼堂は、平成になってから大改修が行われた新しいものですが、
戦時中には、旧鐘楼堂の下が防空壕となり、空襲のたびに住職自らがご本尊の阿弥陀如来を持ち込んで避難していたそうです。

話を聞くと、おばあちゃんのご実家のお寺でも同じように空襲の度に抱えて避難していたそうで、
そのまま安全な防空壕に保管しておけなかったのかと聞いたところ、

ご本尊はいつも、お参りに来た方のために本堂にあってしかるべきため、
そういうことはしてはならない、と言われました。

今、この令和の世では、どちらの選択をする人が多いのだろうかと思いますが、昔の人はそれほど、ご本尊という存在を大切に思っていたのだろうな、と思わされました。

終戦してから、今年で78年になります。

欣浄寺でも、戦時中の記憶を持つ人は、御年93歳のおばあちゃんだけになりました。

これからは、実際に戦時中に苦労した話を直に聞いたことがある人のお話をつないでいく時代になります。

今が、直聞きができる最後の時代になるのだな、と思うにつれ、里帰りの折に、昔話を尋ねてみるのもいいかもしれませんね。

又聞きよりは、直聞きの方が実感が伴うでしょうから、「お母さんが直聞きした話なんだよ」と娘に繋いでいくことができるように、
今の間に少しでもいろんなお話を聞いておこうと思いました。

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