見出し画像

自分の弱さを「受け入れる」か、「克服する」か問題。


こんにちは。あけましておめでとうございます。

今日は、初詣にいって、旦那の実家に行きました。

やっぱり人がたくさんいるとそれだけで結構どっと疲れますね。
これはもう仕方ありません。

昨日は、友達付き合いのことについて書いたりしましたが、
こういうちょっと他人から影響を受けやすい感じっていうのって
気質の部分もあるんかなって思います。

育ちからくる部分と、気質からくる部分とが
あるんじゃないかなって思うんです。

育ちからくる部分は、頑張ったら治せるかなって思うんです。
私の場合、育ちからくる部分でいうと、
親の顔色とか伺いながら育った過程で、
自然と人といると疲れちゃうのかなっていう感じで。

HSPってよく言いますけど、
アダルトチルドレンの人も同じようなことで
問題を抱えやすかったりするんですね。

だからこう、HSPだって諦めちゃうのもありですけど、
ちゃんと向き合うことである程度改善できたりするんですよ。

けど、まあこれは前置きで、
やっぱりそれだけじゃないよなあって。

同じ家庭環境で育っても、
もともと影響を影響を受けやすい子は毒を被りやすいし、
受けにくい子もいるわけです。たぶん。

だからもともとの気質によって、
その子が家庭内でどんなキャラクターになっていくかっていうのが
決まってくる。

共感力とか感受性が強いタイプの子(わたしみたいな)
は、やっぱり親に共感するのがうまいわけですから
親のネガティブの吐口になりやすくって、
それで問題を抱えやすい。

けど、やっぱりその問題を解決したとしても、
共感力とか感受性っていうのは先天性なので残るんですよね。

つまり何が言いたいかというと、
人がいっぱいいるところで、今日私がどっと疲れちゃったことは、
アダルトチルドレン的な問題でも、
心の境界線の弱さでもなく、
気質によるものだっていうことです。

だからこれは直したり、克服しなくていいよっていうことを
自分に言いたいんです。

もともとの弱いところを、全部直そうとしなくていいんです。

どこまでを自分の性質として受け入れるか、
どこまでを課題として克服するかって、
なんだか難しいところですよね。

全部を、自分の性質としてそのままにしていたら、
コミュニケーションの問題とかで改善したらもっと生きやすくなるのにって
いうことまで放置になってしまって、
「これが私の性格なんだから」っていうことで
依存的なところとか、支配的なところが横行したら
もったいないなって思います。

けど一方で、自分を変えよう変えようってしすぎて、
自分の弱いところを受け入れられなかったら、
それはそれで自分が可哀想になってしまいます。

今日、私は自分の、「人と会ったらどっと疲れちゃう」っていうことに対しては、気質として許してあげようかなって思いました。

そのほうがストレスが減りそうだからです。
そのほうが自分に優しくいられそうだからです。
自分に優しくいられたほうが幸せです。
幸せな方を選びたいと思います。

もしも、直すべき問題があるなら、
「たぶん直したほうが私幸せになるな」って
わかると思うんです。
自分の悪いクセが、問題を起こしているなら、
改善させてあげたほうが、幸せになるじゃないですか。

目の前に、子どもの自分がいて、
その子がどうやったら幸せになるかを考えていったら
どういう言葉をかけるかなって考えていったら、

あなたはそのままでいいよって言うのか、
この子のために改善を図るのか、
わかるような気がします。

直すべきか、受け入れるべきか、
その指標は、
「直そうとすることで自分が幸せになるかどうか」
ということなんじゃないかとおもいました。

読んでる人に伝わるかどうかわからないですけど、
伝わったらいいなと思います。

それでは今日は、このへんで。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?