見出し画像

スター選手(小学生編)

ご無沙汰しております。

先ほどNHL釧路の動画でひがし北海道クレインの西脇選手を見ていて、我々世代からしたらスターだよなぁこの人は。としみじみ思っていたところ、ふと自分の人生におけるスター選手とは誰だったかを振り返ってみようと、えっそもそもスター選手って?と思い始めたのでnoteを立ち上げたところです。

ちなみに見ていた動画はこちら↓

2021 We are クレインズ(西脇選手)
 https://movie-a.nhk.or.jp/sns/Yqm/xuup440d.html

そもそもスター選手とは

まず最初に皆さんにとっての
スター選手、スタープレーヤーの定義とは何でしょうか。

ネットでは
人気のある競技者・運動選手。 花形選手。 また、人気のある演奏者・演技者。とありました。

基本的に個人的感覚でnoteを書いているので詳しく調べていないのですがこの「スター」は「星」から来ていて【星のようにきらきらまたたいているように見える選手】という事なんじゃないかと思います。

画像1

では、どうして一部選手に人気があるのか、または出るのか
これについては自分の立場によって定義が変わると思っています。

同じ競技者(元競技者含む)
⇒スキル・競技能力を持ち合わせている選手であること
→だいたいが自分より先輩(年上)であること[例外あり]
→身近ではないこと(敵チームだったり他チームである)
⇒カッコよく見えてくる(立ち振る舞いやスタイル、顔すら)
⇒スター選手

ファン(競技未経験)
実はこれがたくさんのパターンがあると思っており書ききれません。笑
メディアによるもの、ちょっとした仕草やギャップ、競技の細かい事知らないけど私が上手いと感じたから、イケメンだから、エンタメ性のあるキャラで見ていて面白いから etc...
正直、キリがないです。笑

このように、同じ競技者である場合
この人はスター選手だと感じやすいのは年上であり、同チームでないこと。
(もちろん例外もありますし、これは私の感覚です)

これは駒澤高校の時に凄く感じました。
今での記事にも書きましたが高校入学前に一個上の先輩には

画像2

斉藤 哲也さん
(H.C.栃木日光アイスバックス)

画像3

百目木 政人さん
(レッドイーグルス北海道)

画像4

佐藤 翔さん
(東北フリーブレイズ)

他にも鈴木雅仁さんや笠井大さんなどがおり、入学前にはとんでもないスター選手揃いの高校に行くと思っていました。

ですが実際に同じ高校で近くで見るようになって、もちろんとんでもなく上手でアグレッシブで最後まで貪欲なホッケー選手ではありましたが、ホッケー外ではやっぱり普通の人です。笑

面白い先輩達でしたし、ご飯をごちそうになったり、ブレードをいただいたり

画像5

とお世話になり、スター選手から好きな先輩へと簡単に変化しました。
ちなみに流行っていたブレードの曲がりは「タッカー」です。

一方で競技未経験者(ファン)から感じるスター性はファンの方の話を聞いていると意外な場合があります。

ただ、私は一応競技者出身なので感覚がわかりませんがスター選手=好きと必ず結ばれているものかはちょっと把握しきれていません。
多分、違うんじゃないかなと思ってますが…。

意外に多いのが大ファンでカッコいい!好き!、だけど付き合いたい!彼氏になってほしい!結婚してほしい!とは、これまた違うというパターンも。

その辺のファン感覚は私には、よくわかりません。笑

とまぁ、いずれの立場であっても感性は十人十色ですので世の中の人全員にスター性を感じてもらうこと、スター選手だと思ってもらう事は不可能と言えます。

ホッケー人生28年で見てきたスター選手
小学校編

私のホッケー人生。各ポイントで私個人が感じていたスター選手を小学校編から順にご紹介します。
これを参考にあなたもスター選手!なれる?かもしれません。笑


28年前、小学校3年生で全くの未経験状態で入部した美園小アイスホッケー同好会。しばらくの間はスター選手なんて思う余裕すらない、というかスポーツの世界でスターがどうのこうのとかわかってすらない時期を過ごしました。

初日の陸トレの馬飛びで捻挫して泣いて帰って…
同級生の女の子にサークルダッシュ負けて辞めたくなって…
足痛くてホッケーどころじゃなくて…

そもそも小学生にとって先輩と言っても、〇〇君と呼ぶ程度の先輩です。
キッカケは覚えてませんが一番最初には6年生キャプテンの松本くんがカッコよく感じました。
と言っても同じ同好会の先輩だし、そもそも何が上手いのかわからなかったし、未だにポジションがどこだったかも思い出せないし、スターというよりかは、
【Cマークを付けてホッケーしているのがカッコよかった。】
だけだったと思います。
明野小学校ができる前の話でどんでもない数の部員がいて、松本くんとお話ししたことすら無いような気がします。笑

その後も、仲の良い先輩はできますがこれぞスター選手!ホッケー上手い!ああなりたい!と誰かのことを思うことなくホッケー人生を歩みました。

しかしながら小学校5年生の時に、対戦校の緑小の6年生に凄い選手、斉藤剛(サイトウ ゴウ)たる人がいるのを耳にします。
(以後も心境をわかりやすく伝える為に剛さんの敬称(くん、さん)は省略)

私は小学5年生の時には試合に出れず、ベンチから見ていたのですがハイランドスケートセンターで十数対0だか1だか…、圧倒的差で美園小が負けたのを記憶しています。

私の役目はベンチでひたすら
「みっそっのぉ~!ファイ!オッ!ファイ!オッ!ファイ!オッ!」
「ガ~ンバレ!ウェイッ!ガ~ンバレ!ウェイッ!みっそっのぉ~↑!ウェイ!ガンバレガンバレみっそっの!パースだシュートだみっそっの!」

というセリフと繰り返し大声で言う非常に大事な役目でした。

話は試合に戻りますが、その時のほとんどが実は同期の大澤卓也のゴールだったのですが、同い年なのでなんだアイツくらいにしか思っておりませんでした。
その試合、3点くらい入れていた斉藤剛が私にとって初めてのスター選手だったかもしれません。
身体もおっきくて、パックに絡むと何をしてくれるのかワクワクして見ていました。

仏のように優しい性格の私は、斉藤剛と試合したい!ぶっ倒したい!だなんて一切思いもせず、カッコいいなぁと憧れるスター選手として目に映るだけでした。
ちょっとした芸能人のような感覚です。

こうして他校の上手な先輩に憧れるている間に自分が小学校6年生となり、試合にも出場し、王子Jrや選抜で上手な同級生とも出会うようになり、同世代スターの感覚を感じるようになります。

以下の名前はマニアックすぎる話になりますが、、、
最初に感じた同期スターは明野小の厨川(くりやがわ)じゅんぺい
そして同明野小の小西秀学(現ペリグリンのコーチ)
→バックハンドで切り込んでからの肩口がヤバかった。。 

ただ、

画像7

Cooperのヘルメットが致命的にダサかった。


続いて頭角を現してきたのが沼ノ端小の田野上けんすけ
とにかくチョロチョロと動いて脚が早かった。

最後に勇払小学校で現グリッツにいる一個下の濱島 尚人(当時小学5年生)と一緒にリンクで大活躍していた、後に中高大と共にホッケーをする事となる佐藤裕幸
彼はスピード、テクニック、強さ、どれをとってもレベル違いでした。

このように特に小学校時代は1年おきくらいで、注目選手が変わります。
それだけ小学校の高学年辺りは成長しやすい時期であり、簡単に伸び悩む時期でもあります。

とにかく小学校6年生の時は苫小牧では佐藤裕幸のレベルがヤバかった。
美園小VS緑小で1回だけ勝ちましたが、彼と1on1になった瞬間、バックスケーティングで慌てて、足がもつれてすっ転んだのを今でも忘れません。

たまたまその緑小に勝った大会で美園小は全道大会に出場できることとなります。ちなみに大会の名前はPee-wee(ピィーウィー)←なまら懐かしい笑

当時はほぼ全校に1つの割合でホッケーチームがあったので今と比較すると地元の競技人口数自体が違いますが全道大会は私にとって苫小牧という狭いエリアから初めて外に出る機会です。

『裕幸のいる緑小が強い』しか知らない私にとって、緑小以外はたいしたことない、そんな気持ちだったかもしれません。

全道大会の詳細は割愛しますが結果は恵庭に勝って、釧路共栄小学校にあっさり負けます。
実は今になって知ったことですがこの共栄小学校に前ペリグリンコーチの安藤理一郎がいたそうです…笑
そして共栄小も強かったそうです。知らなかった。笑

話を戻しますが全道・全国と話題に上がったのが釧路昭和小の金子タカヤス。
赤いヘルメットに

画像6

こんなダサいシールドをつけた昭和小の金子
背も当時はデカくて早くて上手くて点取り屋でむしろこんなのが攻めてくるのか…と恐怖でした。

プレーをビデオで見て、衝撃が走りました。
自分が見ていた世界は狭かった…。
佐藤裕幸よりも上手な選手はいた…。

アイスホッケーは苫小牧だけじゃないことをこの時知ります。

こうして小学校最後は金子タカヤスという昭和小のスーパースターの名で幕を閉じます。(確か昭和小が全国獲ったんじゃなかったかな…。)

さて、今回の小学生編はこの辺で。
やっぱり小学生編に出てくる選手の名前が一番マニアックなラインナップになりました。笑

次の更新は中学生編!
この辺から徐々に有名どころのあの人の名前も出てきます!

~とうとう和光中に入学。あの緑小にいた斉藤剛の後輩に!~

お楽しみに~。

てらを

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?