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「みんなでやっている」ことを保ちつつ、誰もやっていないことを先にやって、みんなを助ける。

※本記事は、2007.03.04に別媒体に書いた記事を引用しながら、今思うことを記述しています。
引用部分は背景がグレーの部分です。

大学のときにやった、とある高校の旧校舎→新校舎への引越しのアルバイトのことを思い出します。
アルバイト人数、推定200人くらい(もっといたかも…)。
1週間で旧校舎の荷物をすべて新校舎に移す、という作業でした。
(中略)
問題は大きなものを運んだり、配置を考えながら段取りよく運ばなければいけないものにぶつかったとき。
だいたい「あーしたらいい」「こーしたらいい」という意見がいろいろと出てくるんですよね。

「あーしたらいい」「こーしたらいい」に正解はありません。
その意見を言う人は「自分の方が絶対に効率がいいはず」と思って言っているんでしょうが…
で、だいたいこんなときに、通る意見は「一番の権限者の意見」か「一番大きな声の人の意見」。

僕はそういうシチュエーションになったら、「これが終わったあとどう動くのがいいか」を考えたり、次の展開を見越した移動を行ったり、と、割とみんなが気づかないような仕事をするのが好きなんですよね。
みんなが気づいているような大切な労働であっても、4人いれば済むようなものに10人や20人、言い合っているだけの時間って無駄だと思いますから。

ただ…そうやって1人で動く僕を見て、冷たい目線を投げかける人が多いこと…
「何勝手なことやってるんだ」といわんばかりに。
こっちからすると「みんなでやることが美徳だ、という思い込みだけで動かれてもなあ…」と。
誤解を恐れずに言えば、「みんなやってるから」と言う理由だけで行動を縛り付けるような考え方は、労働生産性を落としますし、そもそも自分自身の行動に責任が持てない人の言い草だと思っています。

基本的な考え方や行動は今も全然変わりません。

一方で、”その「誰もやっていないこと」をやることが、本当に組織やチームの生産性を高めることにつながるか?”という意識は、この時よりもずっと持ちながら実行に移すようになったとは思います。

2007年、この記事を書いた頃は、2004年初に着任した広告・宣伝担当として、当時は目新しかったWebマーケティングの手法に取り組み、成果を出し続けて3年余り、自信をつける一方で、有頂天になっているところもあったと思います。
「誰もやっていないこと」に取り組み成果を出すことはもちろん素晴らしいことですが、一方で、チームで成果を出している業務へのリスペクトを無くすのは好ましくなく、当時はこのリスペクトを欠いていたと思います。
そのような状態では、Webマーケティングの成果が他の広告宣伝担当者が携わっている業務へ寄与できず別々の成果となり、広告宣伝全体で見た時に、成果の最大化が果たせていない状態になります。

「みんなでやる」という形態だけを良しとするのは、生産性を落とすだけで好ましくない、ということを前提で
・誰もやっていないことに気づき(先んじて)やる。
・そのことが「みんなでやっている」ことにも寄与する。
・「みんなでやっている」ことを常に意識し、困っているときにはうまくチームに加わる。

そんな自分であれればな、と思います。

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