なにかが、おかしい ③
ある卒業生が大学院に進学が決まったとき、お祝いのために2人で飲みに行ったことがある。
そこで、彼の告白があった。
ー先生に当時話したら、憤死するかもしれないし、あれ以上、僕の高校を嫌いになってほしくなかったから言わなかったんだけれど、
と、言いつつ、
高校時代、数学の成績がずっと学年1番だった彼に、数学の先生が、自分の授業についておっしゃったことを話してくれた。
ー(授業のとき)君は、別のことをしていていいから。
彼は、学校の授業が自分の学習の、そして受験を乗り切る上でも、要であることを知っていたから、自分の判断で別のことをするのを大目に見るのではなく、先生がお墨付きをくれたことに疑問を感じていたのだろう。
受験勉強は普段の学校の勉強と分けて行うものだろうか?
塾に夜遅くまで行っているから、学校の授業中寝ている。
中学受験塾の宿題があるから、学校の宿題ができない。
3学期や夏休みの登校日、塾には行くけれど学校には行かない。
受験科目に必要のない人はほかのことをしていて良いと先生が言う。
そんな話を聞く度、自分の仕事が空しくなる。
昔、私にとっては父の仕事は憧れであり誇りだったのに「塾なんか行くな」と担任が言うのを、私はどうしても許せなかった。
父の仕事は、あんたなんかに「なんか」と言われるものではない。
そう思っていた。
父は私の高校卒業と同時にそんな「なんか」と言われる仕事を辞めることに決めた。そして、娘が再開させるといったとき、大反対をした。
おそらく、20代の私は「なんか」と言われる本当の意味を知らなかった。父の背中を追って、父のところに集まる人たちを見て育って、父の仕事がすてきな仕事だと思っていた。
そして、この23年あまり、私は、その仕事の現実とずっと闘っている。
一方で、50代の私はその「なんか」と言われる仕事だからできたことがあるとも感じている。塾なんか行かなくてもいいんだけれど、必要とする人がいる。今、塾だからできる仕事が増えている。
一方で、学校が本来の自分たちの役割を忘れたーもしかしたら知らないー人たちに運営されていることに、やるせなさを感じる。塾が「塾なんか」と言われている方が、まともな社会なのかもしれないと思うくらいだ。
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