見出し画像

幸せって何だろう。

長生きしたい?

と、聞かれたら、私は即答で

「否」と答える。

そんな話をお盆休みに会った友人にした。

私は、仕事が好きだし、体調が少々悪くても生徒の顔を見ると少し改善する。職場までたどり着けるかどうかが、私の体調の悪さのバロメーターであり、仕事を休むかどうかの決め手だ。笑

私には、子どもたちが癒しであり、彼らに希望を与えられている。
そして、今の生活に、満足はしていなくても、あまり不満はない。

だけど、今のままのこの世の中で長生きはしたくない。

幸せを感じるときはいつ?

私は、そう聞かれたら

「卒業生が、寺子屋の玄関から入ってきたとき」

と、応えるようにしている。

でも、それは、多分、「幸せ」という言葉を使わずに表すと

私のとても「嬉しい」と思う瞬間だ。

「幸せ」という言葉も、「神対応」だとか「超〇〇」だとか「激〇」だとかという表現などと一緒で、ちょっとインフレ気味な表現なのかもね~と、お盆休み明け、大学生と話した。

些細な、小さな「喜び」がそこかしこに、ある生活。

それは、きっと、それよりは少し大きく思えたり、重大に見えたりする「悲しみ」や「怒り」と共にあって、その小さな喜びは隠れてしまうことが多いけれど、小さな「喜び」がそこかしこにある自分の日々の生活を「幸せな生活」と呼ぶよりは、私は、「恵まれた生活」と呼びたいと思う。

その生活の中で起こる悲しみや怒りも不満もあるけれど、それが大事に至らない点でも、恵まれている、そう思うことが増えている。

そんな些細な喜びがある生活を幸せと呼ぶなら、私は幸せなのだと思う。

でも、やっぱり、長生きはしたくない 笑

あまりにやさしい空間がそこにあったので、昨日パシャリとした瞬間
自由研究の考察を大学生とともにする小学生



この記事が参加している募集

いただいたサポートは、子どもたちの学ぶ環境づくりに使わせていただきます。よろしくお願いいたします<m(__)m>