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テストは、先生からのラブレター

「これは、ぜったい『5』にしか読めやんって!」

と、主張する中学生くん。

「3」に見えると、講師たちにそろって言われたときのこと。

また

複数人の勉強会で、1人の講師に添削を求める生徒が複数いたので、2番目以降の生徒に待っている間の課題を伝えたら

「えぇ、そんなことしたら、次、僕の番になったら、音読するとこ長いやん!」

と、文句を言う中学生くん。

このところ、立て続けに、中学生に伝えているー

君の基準ばかりで物事は動いていない、と。

昔は、よく

テストにしろ課題にしろ、「先生からのラブレター」だから、

誠意をもって答えなければならない

そして、問題を読みながら、先生は君たちに何を伝えたくて、君たちから何を聞きたいと思っているのかを考えなさい

と、生徒に伝えていた。

最近はほとんどその表現を使わないけれど

君が、いくら正しいと主張しても、先生が問われていることにきちんと答えていなければ、それは正解とは言えない。

君が、いくら「5」と書いたと主張しても、添削をする人に「3」に見えたら〇はもらえない。

君が、いくら主張しても、君自身が相手の思いを大切にしないなら、君の思いは通じない。先生の思いを受け入れるかどうかは君次第だけれど、君たちは、先生の思いを受け取らなくてはならない。

だから、自分の答案を作る時点で、相手にわかるように書く、伝わるように心を配ることが大切なのだ、と事あるごとに、伝えている。

私は、テストを作る、課題を出す時点で先生たちがきちんと愛を注ぎ込んでいると信じている。少なくとも、私の受けたテストや課題は、その愛を感じられるものがほとんどだったと思う。

だから、生徒たちには、その愛にこたえるか(?)どうかは別として、テストではなくても、普段の練習問題も、作った人のことを考えて、誠意をもって解答してほしいと思う。

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