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忘れられない旅 ②

ロスを発つ朝、リムジンバスを待っていると、親友の前を通ろうとした長身の男性が、振り返りざまに彼女のハンドバックをもって走り去った。

異変に気が付いた私が彼女の方を向いたとき、彼女はすでに走りだしていた。

大きなスーツケースを残したまま、、、。

おぃおぃ、ここはアメリカだぞ。追いかけるのか?撃たれるぞ・・・。

と、思いつつ、

とりあえずスーツケースを2人分まとめて自分の前に置き、次にすべきことを考えながら待つことにした。

しばらくして、しょんぼりと彼女が戻ってきた。

通りかかった警官に相談したけれど、できることはないと言われたという。

彼女は、航空券やらパスポートやら貴重品一式なくしたので、ホテルの人に相談して、もう1泊することにして、1晩、策を練った。

彼女は少し泣き言を言ったあと、保険の説明書を熟読していた。

私はとりあえず、親に連絡をして万が一のためにと毎回海外旅行のとき持たせてもらっていた父のクレジットカードの家族カード使用の許可をもらった。

電話口で開口一番、母に「おめでとう!」と言われた。一足先に日本では私の誕生日になっていた。23歳の始まりだった。

そして、結婚してシアトルに住んでいた従姉と、テキサスにいるアメリカの母に連絡をした。2人とも様々アドバイスをくれ、私たちが望むなら滞在先に使って良いことを伝えてくれた。

翌朝、ホテルの方がロス市警に連れて行ってくれ、手続きを済ませた。盗まれたものが戻ってくるわけではないけれど、その後の手続きに必要だった。

その後、リトル・トーキョーに宿泊先を変えて、領事館での手続きを始めた。

サンフランシスコの銃撃戦、ロサンゼルスのひったくりーこの旅行を続けるのは不吉だった。継続ではなく帰国の準備に入ることにした。

領事館で一時渡航書ー「帰国のための渡航書」を申し込んだ。

彼女が日本人であることをパスポートを持っている私が証明して、帰国後、証明する書類を送るように言われた。

そして、帰国するまで少しだけロサンゼルス滞在を楽しむことにした。

と、いっても、あちこちで銃声が聞こえ、救急車が走り、ショッピングモールにたくさん警備員のいる環境に最後まで慣れることができなかった。

#忘れられない旅

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