見出し画像

なぜ学習塾の仕事を選んだのか(3)

こんにちは。
学習塾てらこやの川島です。

前回は岡山市役所の採用試験でやらかしたところまでお話しました。

前回のお話はこちら

他の人の役に立ち、しばらくやれる仕事なのか

失意のなか、津山に電車で帰る途中で様々なことを考えました。
くやしさ、情けなさ、腹立たしさ、自業自得。

なぜもっと事前に準備をしなかったのか。
本当に自分は公務員になって人の役に立てたのか。
全力で立ち向かったのか。

自分が本当にやるべきことは?

苦々しい思いを胸に両親に報告しました。

「ごめん、だめだった。俺、考えたんだけど、もう試験勉強なんて続けずに社会でしっかり働きたいんよ。自分で塾を開きたい。」

「わかった。あなたの好きなようにやりなさい。」

両親は特に反対もせず私が塾を開くことを認めてくれました。
※教育委員会のことを指摘できず責任を感じていたのだろうか(笑)

実は、今回の試験でだめだったら塾を開くことを考えていました。

①自分に向いている仕事は何だろうか
②しばらくビジネスができる環境だろうか(自己資金・人的資産・ライバルなど…)

この2点を特に考えました。
まず、①の自分に向いているかどうか。
これは「家庭教師でそこそこ人気があったので問題ない」と思いました。
もし私が不人気講師なら塾という仕事を選ばなかったでしょう。
これは今でも大切にしていますが、自分がやりたいことを仕事にするのではなく、第一に他の人に役立つ仕事でなければいけないと思っています。
(他人の役に立ち、その上で自分のやりたい仕事なら最高ですね!)

若い人に助言したいのは、自分のしたい仕事を追い求める「夢追い人」になるのではなく、自分ができること・他人に喜ばれることを自己分析して
それを仕事にしてみてください。

なぜなら、人は一人で生きるのではなく他人と共に生きるからです。
他人に喜ばれる仕事をすることが、自分の幸せにつながっていると思うのです。

塾の仕事に向いているか向いていないかは、すぐわかります。
半年ないし1年間くらい標準的な生徒を指導してみたらいいのです。
子どもに人気があり成績をそこそこ伸ばすことができるなら向いているし、そうでなければ向いていない可能性があります。

②のしばらくやれる仕事なのかどうかについて。
これは慎重に考えました。
果たして自分で塾を開いて生徒が集まるのかどうか、また極端に考えると生徒が集まらなくてもしばらくやっていけるのかどうかも。

例えば、自己資金がないのに高い家賃の教室を借り、生徒をどうしても半年以内に20名集めないといけない、という状況はリスクが高すぎます。

私自身のことや周りの環境を考えた結果、
結論は「やれる」でした。

世の中にないものを作り出す

かくして2002年、今から18年前の私が26歳のときにてらこやはスタートしました。今でこそ津山市内に3教室あり生徒数も津山では多い方だと思いますが、塾を始めたばかりのときは生徒3名からのスタートでした。
もちろん個人経営の自営業からで法人ではありません。

自己肯定感ゼロ、失意のどん底からのスタートです。
私はよく失敗をするのですが、今思うとよく立ち直っているなと思います。
経営者には少々のことでへこたれない精神力やストレス耐性が必要なのかもしれません。

しばらくビジネスをやれる環境だったか?についてもう少しお話します。
二つほど勝算がありました。

1つは、家賃2万円の一軒家を教室としたことです。
両親の知人のお寺さんに、使っていない家があるから自由に使っていいと
言われ住居兼教室にしました。田舎ならではですよね。
※このお寺さんとの出会いによって、のちに大きな転機が訪れます

もう1つの勝算は、個別指導を選ぶことでした。

塾名は「個別指導塾てらこや」
現在の「学習塾てらこや」とは異なり、個別指導専門に行っていました。
なぜかというと、当時津山に個別指導塾がほぼなかったから(笑)
もし、ありきたりな集団塾でスタートしていたら…
その他の塾に埋もれて今のてらこやはなかったかもしれません。

「世の中にないものを作り出す」

当時26歳の若者だった私が常に意識していたことです。
どこにでもある塾では新参者のところは選ばれないですからね。

自己資金がたんまりあって一気に生徒を増やすことができる人もいるかもしれませんが、私は焦らずゆっくりじっくり家賃2万円の教室で塾を始めました。これが塾がつぶれなかった理由です。

自分の身の丈を知り、決して無理をせず、生まれ持った自分の縁を大切にする。家賃2万円の物件を貸してくれた方に感謝し、それを紹介してくれた両親にも感謝しました。

役に立った公務員試験の勉強

今回のやらかし話はなんとも恥ずかしいお話ですが、今思うと公務員試験の勉強は塾運営にとても役立っています。

もともと理系人間だったので数学や理科は得意でしたが、公務員試験の勉強によって文系の知識もつき、特に社会学や政治経済の仕組みは塾経営にとても役立ちました。

「みんなde新聞」という新聞を教材にする指導を生み出すことができたのも、公務員試験の勉強をしていたからだと思います。

「先生の人生には無駄なところが一つもないですね」
私の過去を知る人はこんな誉め言葉をかけてくれますが、役立てないともったいないくらいの失敗を重ねているだけなんです。世の中、無駄なものは一切ないのではないでしょうか。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

今回のお話はここまで。
果たしててらこやはどうなるのか!?
迫りくる数々の困難を川島はどう対処するのか!?

次回は、「開きたての塾あるある」というお話をします。
良ければスキやフォローをお願いします!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?